発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

私が家族から除け者にされたバックグラウンドについて

子ども時代から、家族の中での私の役割は「問題児」と「いないフリ」、「なだめ役」でした。

こうして並べてみると、非常にちぐはぐで、私の家族がいかに私のことを自分たちの都合のいいように扱ってきたのかがよく分かると思います。

 

◆ 誕生を祝福されなかった子

30数年前、私は姉と年子で生まれました。

我が家に限って言えば、私の誕生は家族計画の失敗を意味していました。

医者からは男児だと聞かされ、待望の長男ならば年子もやむなしと納得していたのに実際に生まれたのは女の子で、父は相当ガッカリしたそうです。

跡取りのための名前は用意していましたが、女の子の名前は考えていませんでした。

そこで母は好きな俳優の名前を一文字もらい、哀れな二人目の娘に名前を付けました。

…なんでこの話を知っているのかというと、小学生の時に名づけをテーマに作文の宿題が出されたからです。

姉の時は立て板に水そのもので流暢に熱く語っていた父が、一年後に(私の名前にはどんなドラマがあるんだろう)と期待して同じことを聞くと黙ってしまい、母に助けを求めたら上記のことを告げられたわけです。

 

すっげぇショックだったなぁ。

純真な子どもだったから自分でドラマを創作する発想もなく、嫌だなぁと思いながらもそのままを書いて提出しました。

何が嫌って、周囲に「この子は親から大切にされていないんだ」って分かっちゃうじゃん。

取り繕う愛情もないんだ、と私ですら思ったもの。

案の定、そんなふざけた由来を持つ子はクラスに私しかいなくて、「ぐみちゃんの作文面白かったー」と同級生だけでなく先生にも笑われて惨めでした。

そんなわけで、私は自分の本名があまり好きではありません。

 

◆ 家族みんなにとって都合のいい存在

大人になった今、兄弟構成のことを聞かれて「年子の姉とふたり姉妹です」と答えれば、高確率で「ご両親育児大変だっただろうなー」と言われます。

そうですね。年子を育てるのはあまりに大変だったようで、母は第三子の妊娠を拒みました。経済的な事情もあり、父は待望の跡取りを諦めなくてはなりませんでした。彼にとって娘はひとりで十分だったのです。

 

中学生で精神年齢が止まっている母にとって、育児は相当な負担でした。

 

愛されたがりの姉は、年子の妹がいることで自分だけにスポットライトが当たらず、強い不満を抱いていました。

 

子どもっぽい母は小学生の姉と友達のような立ち位置を取っていました。

思春期女子に見られる、ニコイチという現象ですね。

精神的に未熟な彼女は、自分のストレスを自分でケアすることが出来ません。

日常のイライラを発散するスケープゴートにぐみちゃんを選びました。

ぐみちゃんの存在が疎ましかった父と姉もそれに乗っかります。

母主導のもと、ぐみちゃんは家族から無視され、嘲笑され、存在を否定されるようになりました。

 

そんな扱いを受ければ、誰だって自分を守るために攻撃的になります。そんなぐみちゃんを家族は「手に余る問題児」扱いをし、やることなすこと全てに目くじらを立てるようになりました。

 

それが嫌になったぐみちゃんは、自分の世界に籠もるようになりました。「いないフリ」ですね。私以外の家族が楽しく団らんをしていても、加わらずに本を読んだり、絵を描いたり、空想に耽ることで心の安定を計っていました。

 

また、母は私を除け者にする一方で、ふたりきりの時は私に自分の不満や愚痴を言って聞かせました。主に夫や隣近所の人の悪口です。「なだめ役」ですね。

『金さえあれば離婚するのに。あいつ、浮気しないかな。そしたら慰謝料いっぱい貰って浮気相手にのしつけてあげるのに』

『○○(気に入らない人は全て呼び捨て)の母親は●春してる』

『隣の三兄弟は△△(お隣の奥さん)にそっくりで、一人で作ったみたいで気持ち悪い』

など、訴えられてもおかしくないようなことばかり言います。正直あまり聞きたい話題ではありません。

けれど、ぐみちゃんは嬉しかったのです。母が頼ってくれているように思えたからです。一般的に、小学生に精神的に寄りかかる大人って相当ヤバイですけどね。当時はそんな発想もありませんでした。

 

◆ 私は嫌われ者と思い込まないと生きて行けなかった

小学生のぐみちゃんは一貫性のない家庭に育ち、大いに混乱しました。だって、家の外では自分の家族ほど訳の分からない言動を取る人はいなかったからです。学校の皆はぐみちゃんに優しくしてくれます。

 

なぜ、家族は私に酷いことをするんだろう?私はみんなと仲良くしたいのに

幼いながらも必死に考えて、「私の存在自体が家族にとってストレスなのでは」という結論に達しました。

 

でも、それが分かったところでどうすることも出来ません。そもそも「自分はいらない子」という事実を受け入れるのは辛すぎます。

この心理状況は、大きい精神的負荷となります。これを心理学用語で『認知的不協和』と呼ぶそうです。詳しくはググってみてください。

 

混乱から抜け出すため、ぐみちゃんは自分にこう言い聞かせました。

私は人に嫌われる人間だから、家族も私のことを嫌いなんだ

何をしたって家族に愛されることはないから、自分の内面を変えてしまおう、と考えたのです。

それほど、家族のことが好きだったぐみちゃんを哀れに思います。

 

冷静な私は「そんな理由付けをしたら、この先苦労するよ。ちゃんとした大人になれないかもしれない」と反対しました。

けれども「先のことなんかどうだっていい。それよりも今、楽になりたい」という気持ちに従って「私は嫌われ者」という思い込みを採用したのです。

 

そしたら、驚くほど楽になりました。

と同時に大切なものを切り捨ててしまったような気がしました。

 

その後、家庭内での私の地位は変わりませんでしたが、家の外の環境は一変しました。学校の皆は私の奇妙な言動に最初戸惑っていたけど、徐々に嫌われるようになって私は満足しました。しかし、時間が経つにつれ、「私は嫌われ者」という理由付けをしたこと自体を忘れてしまい、「私は何で人に嫌われるんだろう?」と悩むことになります。