発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

飲み会で空気が読めず、空気になってしまう話

五千円の会費を払って歓送迎会に参加してきました。

 

ぶっちゃけ高いけど、派遣先の社員の情報収集が目的なのでかまわないのです。

三年上限まで厄介になるつもりだから、周囲との関係を友好に保つために色々話をしたいと思っていたからです。

 

また、悲しい子ども時代を過ごした後遺症から、誰かと良好な関係を長期的に維持したことがないため、社歴の長い人々がどんなコミュニケーションを取っているのか興味津々でした。

 

◆ 収穫をメモ

役職のない社員たちが、お酒の勢いを借りて、『もっと給料をください』や『具体的な策もないまま、労働時間の制限をされても困ります。時間が足りないし、人も足りません』といった要求を管理職にぶつけ、管理職も真摯に回答しており、びっくりしました。どっちも本音で喋っていて、信頼関係があるからこそ出来ることだなぁと感嘆しつつ眺めることしか出来ませんでした。

 

なお、私は飲みの席で空気になることが非常に多いです。

 

だから、飲み会で気持ち良く酔うこともなく、傷ついた心を抱えて家に帰っていました。しかし、今日もそこそこ空気でしたが、不思議と傷ついていないのは、人恋しくて懲りずに参加し続けた甲斐もあり、打開策が見えた気がするからでしょうか。

 

私が空気になる仕組みは、自分の言動が原因で場が白けたり、笑われたり、怒られるのが怖くて喋れず、話を振られても微妙な受け答えしか出来なくてだんだん相手にされなくなるというものです。

 

◆ それっておかしくね?と気付いた

掘り下げて考えると、私の話に皆が耳を傾ける、という状況に怯えていることが分かりました。

こういう時、『自分の考えを分かってもらえるように言葉を尽くそう』という気持ちが皆無で、早く終わらせることだけを考えながら喋るため、聞き手に不親切な話し方をしてしまいます。社会的地位が高く、時間管理に厳しい人ほど、要領の得ない話と頭の悪い人を嫌います。よって、空気になってしまうのです。

 

心当たりと言えば、父しかいません。

 

小学生の娘と本気で張り合う子どもっぽい父は、ぐみちゃんの話をニヤニヤ笑いながら聞き、重箱の隅をつつくように些細な綻びを指摘して大喜びするのが常で、すごく嫌でした。けれど、辞めて欲しいと言えませんでした。だって、私が嫌いだからそんな態度を取るわけで、何を言ったって聞いてくれるはずがないと諦めていたからです。悲しい諦めから自分を分かってもらう努力を放棄し、それに伴い考えることを辞めました。

 

お父さん、本当にひどい(笑)。

 

これまで、職場を転々として色んな人に会いましたが、身内に対してこれほど陰険で愚かな振る舞いをする人を私は他に知りません。私に意地悪をする人も、自分の身内には優しかったよ。

 

社会人になったら『分かりやすく』『簡潔に』説明が出来て当たり前で、キーパーソンとなる人々はそういった点やマナー、常識があるかどうかを注意深く見ており、出来ない人には容赦ありません。

 

いい緊張感を保ちながら、自分よりレベルの高い人たちと仲良くしたいものです。そういった人たちに受け入れてもらうには、『相互信頼』が不可欠なんですよね。それが出来ないから困ってるんだけど。

 

近々、悩みを乗り越えるきっかけに会えそうな予感がします。