発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

【しくじり人生⑥】 水商売を上がって昼職にジョブチェンジしたら、自業自得の地獄が待っていた話

インフルの経過が良くなくて、休養期間が伸びそうです。

 

すっかり元気になったと思っていたんだけど、まだ柔らかいうどんを食べていたいので本調子ではないんでしょうねぇ…。

 

ブログ書いてればいっか。

筆ノッてるし。

しくじり人生の振り返りが終わったら、なんか変われそうな気がするし。

その予兆はあるし。

 

前回の記事で触れた、娘の水商売を知った父の暴走を少し前まで許せなかったんだけど、今はどうでもよくなっています。だからこそ、記事に出来るようになったわけだしね。

 

詳細は下記記事をご覧ください。

 

mauve-jasmin.hatenablog.com

 

さて、今回はキャバクラで給料ドロボーをするというその日暮らしから抜け出すために一歩踏み出したキッカケと二十代前半までの話をしようと思います。

 

◆ ダメ人間をやめたい…!

やる気のないキャバ嬢・ぐみさんは、待機席(接客していない女の子たちが座る席のこと。ここでお客さんが来るのを待つ)に座るのが一番の楽しみでした。

そんな中、仲良くなった女の子から夜のお店で働く人たちが集うネット掲示板を教えてもらいました。そうです、ホ●トラブです。検索してみたら今もあるんですね。懐かしい~

このサイトは名前のとおり、ホストの情報交換が主目的ですが、ホストクラブのメイン客層は水商売や風俗などのナイトワーク従事者のため、彼女たちが働くお店のこと、ライバルのことも盛んに情報が交換されていました。

その中でも嬢たちの本音が覗ける雑談のスレッドが好きで、待機席で見ているとあっという間に時間が過ぎるためしょっちゅう見ていました。

夜のお店を辞めたがっている人たちが集うスレッドを見つけるのに時間はかかりませんでした。

 

そこで、誰でも雇ってもらえるコールセンターの仕事があることを知ったのです。

 

人生初の彼氏ができ(ちょくちょく話に出てくる元彼)、水商売を辞めて同棲することを真剣に検討していた私は、一念発起して話を聞きに行くことにしました。

そのため、彼に付き添ってもらって登録会で着るスーツを三万円出して買いました(このスーツは先日、フリマアプリで売却しました。手放したとき、すっごく寂しく思ったのを覚えています)。

 

仕事内容はデータ入力と代理店に不備の電話をかけるだけで、私にも出来そうです。また、前情報通り誰でも雇ってもらえるようです。ただし、一定の期間を経過しても会社側が求めるスキルを満たしていない場合、派遣契約が更新されないという仕組みでした。

 

これはチャンスだと思った私は、その日のうちにキャバクラを飛び(反省してます)、昼職(夜の仕事の人はこう呼ぶ)にジョブチェンジをしました。

 

◆ 初めての昼職、そして次のステージへ

そのコールセンターは数百名の規模で、男女構成比は3:7くらいでした。二十代が多かったような気がします。

大学時代と同じく、周囲に人がたくさん集まってきました。勘違い水商売娘の気分が抜けておらず、「本来は一時間●円を払わないと私とはお話出来ないのよ、オホホ」と腹の中で笑っていました。性根が腐っていますね。頭いて。ハァ。

そんな傲慢さが表に出ていたんでしょうねぇ、女性にはすごく嫌われました。目の前で悪口言われたりとか。

 

仕事面は順調で、ブラインドタッチの練習を空き時間(推奨されていた)でこなし、電話対応の上手い人のやり取りに聞き耳を立て積極的に学ぶ姿勢が功を奏し、一定期間を超えても雇用の継続は保障されました。

このとき嬉しかったなぁ。

「私にも出来るんだ!」って。

飲食バイトで失くした自信を取り戻した瞬間でした。

よく、就職活動で「仕事をしていた中で一番嬉しかったことは何ですか?」と聞かれたけど、私は断然この瞬間だなぁ。当たり前すぎるから面接では言えないけどね。

 

ここで学べることは全て学んだと確信し、一周年を待たずに卒業を決意します。同棲している彼氏も喜んでくれました。

スキルアップを求める私は、仕事を求めて別の派遣会社に登録することにしました。

今思えば、若いんだから働きたい会社にバイトで入って正社員を目指す方法もありましたが、憧れる会社も、やりたい仕事も、出来ることも特になかったし、何より対人関係に自信がなかったから、登録するだけで仕事を用意してもらえる派遣会社は実に都合が良かったんですよね。

派遣社員という仕組みは素晴らしく有難いもの(若さ以外なんのとりえもない私に仕事をくれた)だと思うのに、自身が今も派遣社員であることを恥じる気持ちの意味がちょっと分かったような気がします。

 

◆ 順調なステップアップと思いきや、派遣切りに…

短期の事務派遣を数ヶ月経験したあと、金融業界事務の長期派遣のお仕事が決まります。約一年半(それまでの人生で最長の在籍期間です。うっ、不憫な…)在籍しましたが、ここでも自業自得により、なかなかの地獄を味わいました。

 

私の隣席の人は、二十くらい年上の話好きな女性でした。

開口一番の質問は、確か「最近の若者は休みの日に何をしているの?」だったと思います。その質問には二重の意味で答えたくなかった。なぜならば、お金がなくて(仕送りしてたからな)どこにも出かけられず彼氏と家でオンラインゲーム(FFとマリカー)ばかりして若者らしいことなんて何一つしていないし、何より大人に「同棲してまーす☆」とは言いづらかったからです。

今思えば、「ゲームばかりしてて根暗だとバカにされたらどうしよう(家族がそうだった)」「いつ結婚するの?って聞かれたらどうしよう(子ども時代のトラウマにより心身ともに未熟すぎた私は、覚悟を決められず逃げ回っていました。だから八年も同棲が長引いてしまったのですが。元彼には悪いことをしました)」といった理由をそのまま言えばいいだけの話なのに、「自分のこと話したくない!深く突っ込まれたくない!!」とあろうことか彼女の質問を無視してしまいました。

 

今後も人生の節目でちょくちょく顔を出すのですが、私は対処できない事態に直面すると逃げるんです。時と場合によっては無視に見える。そして無視は立派な攻撃です。最悪ですね。

 

そんなわけで、人の良い彼女も私をじわじわと嫌うようになり、向かい側の人と一緒になって私の悪口を言うようになりました。どうすればいいか分からず放置したそれは段々エスカレートし、お昼休みになると部長へ私の悪口を吹聴するのが日課となったくらいです。

(Uさんへ。好意で私に声を掛けてくださったのに、後ろ足で砂をかけるような無粋な真似をし、その節は大変失礼しました。あの頃は自覚のないトラウマに支配されており、今よりずっと生き辛さを感じていました。かつての自分と似た若者を見つけたら、あなたのように話しかけようと決めています。あなたの持つ明るさは私の憧れでした)

 

深く物事を考えようとすると、頭に靄がかかったようになり思考停止状態になるという不思議な現象に気付いたのはこの頃です。帰宅してからの無気力にも悩まされていました。病気ではなさそうだし、根が深いのは何となく分かったので怖くなって目を逸らしてしまいました…。

 

そんな折、リーマンショックが世界中を襲います。

一気に不況になった企業は、前代未聞の大規模な派遣切りを敢行します。

それは私の就業先でも同じことでした。

私に白羽の矢が立ったのは必然といってもいいでしょう。

毎日苦情を報告するほど特定の社員と関係が悪化している派遣社員なんて全体の士気に関わりますから。

 

少し前まで部長自ら直接雇用の話を匂わせていたのに、あっさりと雇止めに遭いました。

 

でも、根はたくましい私は、ネットで社会保険の知識をかき集め、雇用保険の失業手当をもらいながら職業訓練校に通って簿記の資格を取ることにしました。

無事に合格し、金融系の会社を退職して約半年後、資格を生かした長期派遣の経理のお仕事をゲットしました。そこで、今までの仕事内容は子どもの使いの域であったことを痛感します。新しい地獄の始まりです。