発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

【しくじり人生⑦】 仕事が出来なさすぎて孤立してしまい、職場を追われるように辞めた話

今回は、問題が表面化してきた時期のお話です。

 

前回の記事はコチラ↓

 

mauve-jasmin.hatenablog.com

◆ 仕事についていけない…

職業訓練校に通って取得した簿記の資格を生かし、未経験可の経理事務を派遣会社から紹介してもらったぐみさん。

更なるステップアップが出来る、と期待に胸を膨らませて働き始めましたが、大きな大きな壁にぶつかります。

 

覚えることが多すぎて、これまでのやり方では対処できない。

 

ということでした。

今までやって来た仕事といえば、データ入力・書類のチェック・不備の指摘と修正の依頼、といった奥行きがなく単調で、段取りや先の事を考える必要がないものばかりです。自己完結型ですね。

 

ところが、経理事務はこれまでやってきた仕事とはかなり毛色が違いました。

必須となるスキルのランクが上がり、その量も増えたのです。

一言でいうと、職場での良好な対人関係を維持するための能力です。

経済産業省が提唱する「社会人基礎力」が分かりやすいです。

かいつまんで説明をすると、

 

1.前に踏み出す力

2.考え抜く力

3.チームで働く力

 

の3つの能力と、それらを支える12の要素から構成されています。

詳しくはコチラ↓をご覧ください。

www.meti.go.jp

残念ながら、当時の私には全てが欠けていました。

主体性、働きかけ力、実行力、課題発見力、計画力、創造力、発信力、傾聴力柔軟性情況把握力、規律性、ストレスコントロール力、ぜーんぶ持ち合わせてない(太字は特に欠落しているもの)。

これらはそれまでの社会生活の中で学ぶべきものでしたが、何もしなかったのでなーんにも知らないまま大人になってしまったのです。

 

私は第一印象だけは良いので、最初の二ヶ月は

「真面目な頑張り屋さんで、良い人が来たね」とみんな喜び、優しくしてくれました。私も自分のことをそうだと思っていました。

 

ところが、二ヶ月目に入った頃からどんどん雲行きが怪しくなってきます。

とにかく仕事が出来ない。遅いし間違っている。最悪です。

例えば、私は短期記憶が得意で、狭い視野の中では勘が良いです。だから教えてもらうのはけっこう上手いのです。

ところが、思い出すこと(そもそも考えること)が苦手で、教わったことをメモしません。「なぜ」思い出すことが苦手なのか掘り下げたくなかったので、「私は頭が良いから」とこれまでの成功体験と結びつけて自分を誤魔化し、記憶に全幅の信頼を寄せていました。

これは二重の意味で死にますね。

アイデンティティと信頼の崩壊です。

「私って実はすごいバカなのかな。そもそもなんかみんなと違う。でも何が違うのか分からない。怖い、何も考えたくない」

問題の根が深いことに無意識では気付いていたのでしょう。けれど、当時はそれと向き合えるほど心が育っていなかったので自分を守るため思考停止状態になります。

この状態は傍から見ていると本当に不気味です。何を言われても響かず、ヘラヘラと薄笑いを浮かべているだけですからね。

 

当時の上司は女性で、30歳という若さで課長職を務めるほど優秀な方でした。

私を理解しようと尽力してくださり、その一環で取るようになったメモは機能せず、また、肝心の私がコミュニケーションを拒絶しているせいで上手く行きません。次第に優しい彼女も怒り出し、毎日叱られるようになりました。

当時の私が何を考えていたのかというと

「ルールを守ってくださいってうるさい!」

「新人なんだから少しくらい間違えたっていいでしょ!」

「みんなの前で叱ることないじゃん!ひどい!」

「私のペースで仕事させてよ!」

反省ゼロです。

でも怒られるのは嫌だから「すみませんでした。次から気を付けます」とその場しのぎで謝りますが、何も考えていないので同じミスを繰り返します。しまいには「思ってもいないこと言わないでください!」と叫ばせてしまいました。その時、うつむいた視線の先に彼女の固く握った拳が震えていたのを覚えています。

数少ない女性たちは皆彼女の味方でしたが、遠巻きに私たちのやり取りを見ていました。その代わり、自分の評価は切れ切れに聞こえます。

「こんな人初めて見た。どう接したらいいのか分からない」

「新卒よりひどい」

ところがパッと見、私は上司にいつも怒られている可哀想な新人です。男性はみな同情的で、係長は「ぐみさんの話を聞いてあげてください」と派遣会社の営業担当に連絡をしてくれたし、社長ですら私を心配してくれました。しかしながら、これは自分の問題で、誰かに何とかできるものではない、けれど今の自分にはどうすることも出来ないから放っておいてくれ、と思っていました。

 

◆ 一発逆転はない、辞めるしかない

状況は更に悪化し、「何も任せられない」と言われて仕事を全て取り上げられてしまいました。何もすることがありません。「何か手伝うことはありますか」と聞くのも怖くなり、必死な形相で不明瞭な言葉を発する私を課長は悪意に満ちた顔で笑います。彼女がその頃に精神安定剤を服用していることは知っていました。善良な人を私はここまで追い詰めてしまうんだなぁとぼんやり思ったことを覚えています。また、職場の雰囲気は非常に悪く、地獄のようでした。私のせいなのに、びっくりするくらい他人事でした。

 

こんな状況になったら、もう何をやってもダメです。辞めるしか道はありません。そこで契約終了を待たずに今月末で辞めたいと営業担当に伝えました。本来なら重大な契約違反で、派遣先は怒りますが、新たに窓口となった係長経由で社長まで話がとおり、「可哀想だから」とあっさり許可が下りました。温情で特別対応をしてもらったにも関わらず、数日で「やっぱり月末まで待てません。明日で辞めます」と自分で決めたことを反故にしました。希望は叶いましたが、その派遣会社からは信頼を完全に失い、二度と仕事を紹介してくれることはありませんでした。自業自得ですね。

最終出勤日、課長は彼女の指示で取るようになったメモの機能を果たしていない支離滅裂な走り書きを全てシュレッダーにかけるよう私に言い、その様子を燃えるような目でずっと見ていました。『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』とはこういうことなんだな、と思いました。びっくりするほど他人事のように感じました。最後は形式的な「おつかれさまでした」で送り出され、明日から職場に行かなくていいんだという開放感すら特に感じず、夜のとばりが降り始めた街を無感動に歩いて家に直帰したことを覚えています。

 

Kさんへ。あの頃は本当にすみませんでした。100%私に非があり、あなたは何も悪くありません。今は健やかに過ごされているといいなと思います。こんなダメ人間にお時間と労力を割いてくださってありがとうございました。責任ある仕事を任され、バリバリとこなすあなたは私の憧れでした。

 

その後数ヶ月は、傷ついた心を忘却で癒そうと努め、ひきこもってニコ動やピクシブばかり見ていました。清々しいクズっぷりですね。お前がすることは忘れることじゃない。振り返りと反省に対策を練ることだ。自分と向き合えるほど心が育っていなかったは言い訳だということは分かっています。

同棲してて住むところと食べるものに困らなかったから出来たことですが、今思えば人生の中でモラトリアムしてていい期間なんて存在しません。いつだってその時のベストを尽くさないと、私みたいになるので気を付けてください。夕飯作りと洗濯はしたけど掃除を全くしないだらしない女を追い出さずに一緒にいてくれた元彼、ありがとう。あなたはとても優しい人です。今幸せに暮らしているといいなぁ。

 

次のベンチャー企業でのしくじりを話したいんだけど、3000字を超えてしまったので一旦区切ります。