発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

【しくじり人生⑧】仕事が出来なさすぎて、正社員を半年でクビになった話

今日も仕事をお休みしてしまいました。

本当に具合が悪いのか、怠惰なのか自分でも分からん。

どっちにしろ、来週から本気出します。月曜行けなかったら本気でヤバい。

 

さて、前回は問題が表面化してきた話でした。

 

mauve-jasmin.hatenablog.com

今回は問題に気付きながらも、どうすればいいか分からずに深手を負いまくる話です。

 

◆ ラッキー!正社員になれたよ!!

あまりに仕事が出来なさすぎて職場を逃げるようにして辞めたぐみさん。数ヶ月の引きこもり期間を経て、再び就労意欲が湧いてきました。思考停止状態というハンデを背負いながらも導き出した、前回上手く行かなかった理由と対策は『私の頭は悪くない。やり方さえきちんと覚えれば大丈夫。でも、派遣だったから時間の制限(定時で帰れという無言の圧力は多少ある)があって自分のペースで仕事が出来なかった。私は覚えるのに時間がかかるタイプだから、思いっきり時間を使って納得するまで仕事ができるような環境で働けばいいのでは。そうだ、正社員になろう』という斜め上の発想でした。

ふざけんな。自分のペースでやっていい仕事なんてこの世には存在しないし、どんな仕事にも締切が存在する。それを無視して自分が納得するまでやりたいとか頭湧いてんじゃねぇの?本当にてめぇは自分のことしか考えてねーな、と当時の自分の横っつらをひっぱたきたくなります。でもこれって人によっては理解できない概念なんですよね。正社員でもこういう考えの人って割といます。そういう人たちはおしなべて窓際族ですけどね。「頑張っているのに評価されない」とむくれていますが、アプローチの方向が間違っているんだぜ。自分で気付くしかないので何も言いませんけど。

 

そんなわけでハローワークに出向き、ベンチャー企業のバックオフィス業務(要するに総務や経理、人事など事務全般)の求人票を見つけ、さっそく応募書類を郵送しました。

二十代半ばという若さと簿記の資格を持っていたからでしょう。すぐ面接に呼ばれました。そこは従業員数10名以下の小さな会社で、面接官は社長と会社の顧問弁護士でした。自分の語るペラッペラの志望動機に『やっぱり私はどこかおかしい。大抵の人は学生でやることなのに。なぜ私はみんなが出来ることが出来ないんだろう』と寒気を覚えながらも面接自体はそこそこ盛り上がって終わりました。なぜならば、書類上は向上心に溢れガッツのある私をふたりとも気に入ったらしく、いっぱい喋ってくれてバカが露呈しなかったからです。

恐ろしいことにトントン拍子に話が進み、正社員で働くことが決まりました。

元彼は喜ぶと同時に、いきなりのステップアップに『大丈夫?』と心配してくれました。その気持ちが今なら分かります。ドラクエで例えて言うなら、ひのきのぼうを装備したままエリアボスに挑むようなものです。無謀すぎます。

 

◆ 学習しないせいで、再び孤立…

前回同様、最初の二ヵ月は「真面目な頑張り屋さんで、良い人が来たね」と皆喜び優しくしてくれました。前回の失敗があるにも関わらず、私も愚直にそう信じていました。

しかし、二ヶ月目に差し掛かる頃には馬脚を現し、じわじわと嫌われるようになります。前回と違うのは、同い年の営業の女の子がいて事あるごとに比べられたことと、外資系企業のトップ営業だった社長が独立して作った会社は、男性社会での振る舞いが求められるという厳しい環境だったことです。

会社の仕組みは実は軍隊と同じで、そこでは兵士として振る舞わなければいけないということを今は知っていますが、のほほんとマイペースに生きてきた私にそんな発想はありません。とりわけ力関係が上の人は無条件で常に敬わないといけない、という概念がまったくなかったので、社長にたくさん恥をかかせました。

また、外資系出身で無駄を嫌う社長は、迅速・的確を好みます。事務作業の簡略化を図り、誰でも出来るようにした上で、余った時間をお金を生み出す作業にあてたいと考え、それを私に伝わるよう言葉を噛み砕き、何度も説明してくれました。

けれど、私の心には全く響きませんでした。なぜならば、『深く考えることが苦手』という事実から目を逸らすために『私は頭がいいから大丈夫。時間がかかってもいいから、自分が納得行くまでとことんやりたい』という気持ちを握りしめていたからです。とはいえ、何も考えていないため『納得行くまでとことん』にはほど遠く、仕事にムラがあり、同じ間違いを繰り返すこともしょっちゅうでした。

最初、社長は根気強くミスだけを指摘してくれました。私も「社長に迷惑をかけてしまった!」という気持ちから真摯に謝ります。けれど振り返りをしないから進歩がありません。今思えば、社長は私の使い道を模索してくれました。配置転換をしたり、同い年の営業の女の子(Mさん)の下につき、彼女の指示で動くようにしたり。また、私の欠点を冷静に指摘してくれ、改善のヒントも一度だけくれました。

しかし、私の心には全く響きませんでした。それどころか、無駄にプライドだけ高い私はMさんと上下関係を作られて内心ムカついていました。自分は彼女と対等な立場だと思っていたからです。今思えば彼女は人として当たり前の振る舞いをしていた(好かれるため多少の打算があったのは知っていますが、それもテクニックです)だけですが、周り(全員男性)がみな彼女を可愛がるのは本当に気に入りませんでした。『私という引き立て役がいて、チヤホヤされて気分いいだろうなー』とめちゃくちゃ僻んでいました。

ピリピリする無反省の私は可愛げが全くありません。大抵の人は異性に優しいものですが無視されるようになり、最終的には目の前で悪口を言われ、言動を笑われるようになりました。内容については、防衛本能が働き耳にシャッターが下りて何も聞こえていないため覚えていません。

たまに声が掛かるときはありますが、それは決まって侮蔑を含むからかいや答えられないと分かっている意地の悪い問いかけで、あたふたする私の反応を見てみんな笑います。穏やかで優しい人も例外ではなく、人は自分に迷惑をかける人をとことん嫌い排除しようとするのだということを思い知りました。

実は今でも、周囲で楽しそうに誰かが会話していると自分の悪口を言われているような錯覚を起こし、全く内容が耳に入って来ません。しかし距離的に会話に入らないのはおかしいので薄笑いを浮かべながら傾聴しているふりをしていると意見を聞かれ、とんちんかんな受け答えをして場の雰囲気をおかしくする時があります。頼むから私に話しかけないでくれと思いますが、社会人になったら『ただそこにいるだけ』は許されません。うーん辛い。

 

◆ クビになりました。ご愁傷様です。ちーん

私がツンケンした態度を取るからMさんも私に指示を出さなくなり(そもそもそんなに量がない)、放置されるようになりました。職場の雰囲気は私のせいで冷え切っています。状態がここまで悪化したら、もう辞めるしか道はありません。しかし、入社してまだ半年しか経っていないのに辞めることは抵抗があり、そこそこもらえるお給料にも未練があります。

お得意の思考停止状態に陥り、あろうことかニコ動と発言小町を始業から終業までずっと眺めているようになりました。

とうとう、社長から「うちであなたにやってもらう仕事はない。辞めて欲しい」と解雇されます。法律違反であることは知っていましたが、抗う気力はありませんでした。自業自得による必然だと分かっていたからです。

優しい社長は、離職票に記載する退職理由を会社都合と自己都合のどちらを選んでもよいこと、辞めることを周知するかどうかを決めていいと私にゆだねてくれました。そこで退職理由は会社都合で、退職は当日まで伏せて頂くことを選択しました。

 

解雇通知をされたカフェを出てひとりであてもなく寒空の下を歩きました。心の中は空っぽで、びっくりするほど他人事でした。「やっぱりな」という気持ちが強く、感情が何も湧いてきません。

事務所に戻ると空気がちょっとおかしい。全員そわそわしており、(あ、みんな私がクビになったこと知ってるんだ)と気付きました。内緒にして欲しい、という希望が却下されたわけですが、特に何も感じませんでした。むしろ辞めるまであからさまな攻撃を受けなかったので気が楽でした。

そんな中でも忘れられない出来事があります。

それは、退職を間近に控えた昼下がりの事務所内でのことでした。

一番優しく穏やかな男性が、現在開発中の製品を見せてくれたのです。それは社外秘で、辞めることが決まっている部外者の私に見せてはいけないものです。誇らしそうに嬉しそうに説明する彼の姿は私の心に刺さりました。彼が打ち合わせに出掛け、ひとりになった途端に涙が出ました。彼が羨ましかったのです。私は自分の仕事に誇りを持ったことがあっただろうか。私たちは多分全然違う世界にいて、私が彼の住む世界に行く方法はあるのだろうか。そんなことを考えていたら涙が止まらなくなりました。さめざめと泣いていたら、Mさんと別の男性が出先から帰ってきました。頬に残る涙のあとに思うところがあったのでしょう。その後「辞めたあとどうするの?」と何度か聞かれました。疲れ切った私は何も考えたくなかったので放っておいて欲しいと思いながら「しばらくゆっくりしようかな」と答えました。今思えば、「辞めたくない」という言葉を聞きたくて質問を投げかけていたような気がします。けれどそんな気持ちは不思議なくらい微塵もなかった。

 

社長へ。あの頃は本当にすみませんでした。何度もチャンスをくれたのに気付かず全てのフラグをへし折りました。「外資系で働いていた頃の部下はみんな完成されていて、あなたのような人はいなかった。どう育てていいか分からなかった」と仰っていたのを思い出します。私の未熟さのせいで後味の悪いことになってしまい申し訳なく思っています。ぐみは更生して何とか今を生きています。

 

4000字をオーバーしたので一旦区切ります。次は自分と向き合おうとして深淵にびっくりして逃げる話と人生二度目の職業訓練校の話をしようと思います。