発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

2020生存報告

お久しぶりです。

ぐみです。

 

記事を書かない間、色々なことがありました。

 

目に見える一番の変化は、同じ会社で派遣社員から直接雇用に切り替わって一年が経とうとしていることです。リーマンショック以降初の事例だそうで、私は非常に運が良い。

 

ラッキーを引き寄せた理由は、『余計な言動をしない』ことに尽きると思っています。

 

(認められたい)

(好かれたい)

(感謝されたい)

という気持ち、いわゆる承認欲求が強い人は客観的に見て余計なことを言ったり、やったりする傾向にあり、周囲に迷惑をかけた結果、自分の評価を落としてしまいます。

 

これは差はあれど誰でも持っている欲望で、もちろん私にもあります。20代のうちは振り回されて散々な目に遭いました(詳細は別記事をご覧ください)。今は付き合い方を覚え、仕事上は自分の都合を横に置いて最大多数の最大幸福を追求することが出来るようになりました。その方が評価されることを知っているからで、承認欲求が無くなったわけではありませんけれども。長い目でものを見れるようになっただけです。年を重ねてズルくなっただけかもしれませんが、今の自分の方が好きです。

 

また、愛着障害の治療も確実に前へ進んでいると感じます。

 

元旦に実家へ帰省した時、こんなことがありました。

父、母、姉、私の四人家族で外食をすることになり、車で五分ほどのファミレスへ行きました。そこはドリンクバーがあり、みんな思い思いのタイミングで席を外し、好きな飲み物を持ってくるスタイルです。

さて、母がドリンクバーに行っている間、父姉私の三人は食後の話をしていました。車で買い物に行く予定で、父は行かないことを表明していました。自宅前まで父を車で送ると思っていた私は、姉の唐突な「お父さんは歩いて帰って」発言に驚きました。目的地は自宅の先にあるため父をファミレスに置き去りにするのは意味がないし、冗談にしては面白くないからです。なので「えっ、それ酷くね?イジメじゃん」と颯爽と突っ込み、父は「いつもこうなんだ」とぼやき、三人でわっはっはと笑っているところに母がドリンク片手に戻ってきました。

 

すると、母は「私の悪口で盛り上がっていたんだろう」と唐突に怒り出したのです。

 

ビックリした私は違うよ、とだけ言いました。父と姉は何も言わずニヤニヤしています。母は「嘘だ!」と私の言葉を否定します。さっきまであんなに楽しかった場の空気は明らかに変わり、緊張をはらんで張り詰めています。あろうことか母は顔を真っ赤にして半泣きでした。こりゃまずいと思った私は、さっきのやり取りを丁寧に話しました。母は必死の形相で私の説明を聞き、父と姉は相変わらず黙って薄ら笑いを浮かべています。

私の話を聞いて母は安心したようで、空気は元に戻りました。その後何事もなかったかのように振る舞う家族を見て、「こいつはやべぇな、そりゃ私も愛着障害をここまでこじらせるわけだ」と腹落ちしました。

 

一連の出来事以外にも、ファミレスでの家族の振る舞いを見て(野蛮だなぁ…)と内心思っていましたが、これが一番不気味に写りました。我が家では、『その場にいない人の悪口を言う』のも『自分たちが原因で情緒不安定になっている人を放置する』のも『安心してもらうために言葉を尽くして説明しない』のも『なぁなぁにする』のも当たり前のことだからです。ひとことで言うと、愛がないのです。

 

私の家族のように「今の自分の気持ちが一番大事!相手がどう思うかも、後先もどうでもいい!」という究極の破滅型自分本位タイプは現在の生活範囲内でお目にかかることがない人種で、新鮮な驚きがありました。

 

子どもの頃、何かするたびに両親から「社会に出たら苦労するわ」と鼻で笑われましたが、そりゃ我が家のルールを外に持ち出したら人間関係は上手く行かないだろうなぁと思います(そういう意味で言ったんじゃないでしょうけれども)。父は転職を繰り返し、母と姉は会うたびに「人と関わらない仕事がしたい」と言います。

 

後日姉と話す機会があり、彼女は「うちの家族、おバカでにぎやかでしょ~」と表現しました。私は(あんな殺伐としててそりゃね~だろ、でも今さら現実を認識させるのも酷だから何も言わないでおこ)と判断し、「そうだね…」と返しました。

実際、現実が見えていないと思うのです。

母は父の扶養に入れる範囲で働き、姉は仕事が辛くて社員からアルバイトに雇用形態を切り替えました。よって一家の大黒柱は年金をもらいながら社員として働く父です。久しぶりに数日一緒に暮らし、父に対する扱いが特に酷くて驚きました。ファミレスで父を嘲笑しながら食事をするのは、父の稼ぎがないと出来ないことです。それを分かっていたら、あんな態度は取れないと思います。それとも家族と別居の期間が長いから変に思うだけで、家族ってこんなもんなんですかね?

でも、ひとしきり笑い者にされた後に暗い目をした父が発した「俺さえ我慢すればいいんだ、俺が全部悪いことにしておけばいいんだ」が忘れられません。本心は絶対そう思っていないのに、そういうことにしておかないと家族とやっていけない。我が家の深遠なる闇を見ました。改善には相当な痛みと時間を伴うので、きっと一生このままでしょう。

 

治療のおかげで、こうして状況を客観的に見れるようになり、殺伐とした雰囲気を変えられるようになって本当に良かったなぁと思います。そろそろ五年目に突入しますが、まだまだ道半ばといったところです。欲しいのに手に入らないから諦めることを繰り返して来たので、私は自分に嘘をつくのが非常に上手いのです。治療の極意とは、気付くことです。

 

(私を見て)
(私のことを分かってほしい)

(お姫様扱いされたい)

(ありのままの私を愛してほしい)

が本音だなんて信じられない!長いこと、自分には承認欲求がないと思っていました。まぁ承認欲求がなきゃブログなぞ書きませんけどね。強烈な自己矛盾の塊が私なのです。もっと自分のことを知りたい。

 

そういえば、自分よりも年下の優秀な人を見ても負の感情(焦りや後悔、自分への怒りなど)が湧かなくなったなぁ。治療を経て、こうやって色んなことが平気になっていくのでしょう。楽しみです。

 

それでは、また!