上京して15年以上経っているのに気付いていなかったことにビックリした話
正確には、今年の4月で17年目を迎えます。
すごいな。
もういっぱしの東京人じゃないか…!(うぬぼれ)
◆ 真っ先に思ったこと
『色々なことがあって、よく頑張ったなぁ。
そりゃ社会不適合者でも、15年必死にもがけば、自分とも周囲とも折り合いをつけられるようになるよね』
と、自分の歩んできた道を誇らしく思いました。
正社員の仕事を半年でクビになった20代半ば、幼いままの自分が情けなくて誰か違う人間になりたかった。自分が嫌で、変わりたいのにどうすればいいか分からなかった。立派な大人になりたかった。
…そんな気持ちを抱えながら、六本木ヒルズ内にあるスタバにコーヒー一杯で長時間居座り、併設するオフィスビルを行き交う人たちを羨ましそうな目つきでずっと眺めていたことを思い出しました。姿勢が良く、見栄えのいい服を着こなして颯爽と歩くスマートな彼らが眩しく映り、何も出来ない自分が酷く惨めでした。
◆ 時の経過に気付かなかった理由
見ないようにしていた、が正しいでしょう。気付いてしまうと、間違いなく『なんて無益な時間を過ごしてしまったんだ…!』と絶望で目の前が真っ暗になり、前に進む気力どころが生きる気力を失ってしまいそうだからです。私を守るために、無意識さんが良い仕事をしてくださったようです。サンキュー自分。
◆ 考えなくなったこと
・貴重な20代を無駄にしてしまった
・あと5歳若ければ、○○が出来るのに
・社会不適合者だった恥ずかしい過去をなかったことにしたい
・あんな両親の元に生まれたくなかった
考えるたびに心が囚われて苦い後悔で胸が苦しくなり、時や場所を選ばず涙ぐむほど執着していたのに全然気にならなくなりました。
カウンセリングを何度も受け、自分でも気付いていなかったこだわりを手放したおかげです。
そして、これは時が自然と解決してくれるものではないことも知っています。
先日、60歳過ぎの女性とお話する機会がありました。
彼女もお父上と折り合いが悪く、最後まで和解することはなかったそうです。
随分昔に鬼籍に入った彼のことを思い出す時は、良いことしか浮かんでこなくなるものですか?と問うた私に、彼女は『そんなことないわよ』とあっけらかんと言い、私は内心驚きました。清濁合わせ飲んできたであろうこの人にも、まだ昇華出来ないことがあるんだと失礼ながら思ったからです。
◆ 昔あこがれた人と同じ年になったことにも気付いた
先日、35歳になりました。
35歳と言えば、健康診断の内容が変わる年です。
それで、『この人みたいになりたい』と憧れた人が嘆いていたことを思い出しました。
その人は、かつての派遣先の同じ課で働いていた人で、『俺ももう人間ドックを受ける年か~!まだ若いと思ってるのに。すげぇショック』と仲良しの20代女性に繰り返し嘆いていました。
彼の何に憧れたのか、というと、
その職場は新卒入社した人が大半を占め、中途入社者は少ない会社でした。
憧れのその人は別業種から転職して来た人で、最初はよそ者でした。それなりの歓迎を受け、悔しい思いを何度もしたことと思います。しかし、社内での地位を着実に築き、同期飲みという新卒入社時から苦楽を共にしてきた者たちしか参加出来ない閉ざされたコミュニティに呼ばれるようになり、『○○さんはうちらと同い年だから、もう同期でよくね?』と仲間認定されるほどの高いコミュニケーション能力を持っていました。
また、肝心の仕事ぶりは判断力と理解力に優れ、上級総合職に昇進するのも早かったです。
更に、後輩から慕われ、経営陣や上司からも一目置かれ、『○○に任せておけば大丈夫』と厚い信頼を得ていました。私の知る限りでは、社内で彼を嫌う人はいませんでした。
…まぁ、損得勘定はすごかったですけどね。
だって、その人、仲良くしても全く得しない派遣社員の私のこと超嫌ってたし、バカにしてるの隠さなかったもん(笑)。
当時の私は空気が読めず、バカでマイペースだったから、調和を重んじ、スピード感を重視する彼には耐えられない存在だったのでしょう。よく真顔で『いい年(当時は20代後半)してボーっとしてて大丈夫?恥ずかしくないの?』などと責められたし、笑い者にもされていました。
…そういった性格の悪いところもひっくるめて好きでしたよ。私に矛先を向けるのは辞めて欲しかったけれども。人間らしくて良いじゃないですか。あ、恋愛感情は全くありませんので、その辺は誤解なきように。憧れていたことは最後まで言わなかったし。
今頃はもっと出世してるんじゃないでしょうかね。
日経で会社の記事を見るたびに彼を思い出します。
あーゆう人に私もなりたい。
◆ 今後の課題
彼みたいになるためには、人に好かれなくてはなりません。
人心を掌握するためのハウツー本を読み漁ってきましたが、自分の血肉となった感じは全くせず、ずっと不思議に思っていました。
最近、数々の思い込みから解放されたおかげで、ふと気付いたのです。
『あれっ?そもそも私、人に好かれるのを恐れてわざと嫌われるような言動を取っていないか?』と。
弱肉強食の不健全な子ども時代を生き抜くために身に付けた考え方が、健全に生きようとする現在の私の足を引っ張っています。家庭内では有効な処世術でしたが、家庭の外では毒にしかならない古いやり方です。でも、私の中にそれは血肉となって息づいており、有害なものであることすら自力では気付けません。解毒するにはプロの力が必要です。
よって、明日カウンセリングを予約済みです。
あー楽しみ。