発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

【しくじり人生⑩】人並みに仕事が出来るようになりたくて奮闘する話とトラウマが大暴走した話

今回は、仕事が出来るようになることを優先して社交能力の改善を無視した結果、自覚のないトラウマに支配されて大暴れしたお話です。

 

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◆ 年齢相応のスキルが欲しい…!

失敗だらけの職業人生の中で「自分のペースでやっていい仕事はない。限られた時間の中でベストを尽くすことが大事」という気付きを得たぐみさんは二十代も後半になっていました。短期離職を繰り返したおかげで、年齢に見合ったスキルがないことがコンプレックスでした。二十代後半はスキルを身に付けるための就職ができる最後のチャンスのように思えます。かといって正社員の求人に応募する気にはなれません。面接で深い質問(あなたはどうしてこの人生を選んだのですか?)をされて言葉に詰まるのが怖かったからです。そんな消極的な理由から受け身でいられる派遣会社へ数年ぶりに足を運び、理想的な仕事を紹介してもらえました。

それは、とある大企業の子会社の人事アシスタント業務です。

顔合わせ時に、ベテラン社員が育児休職に入ることによる代替要員の募集と聞き、「正社員と同じ仕事を任せてもらえるかもしれない」と期待で胸を膨らませました。私の経歴と第一印象が派遣元のお眼鏡にかなったようで、ありがたいことに採用が決まり、翌週から働くことになりました。

時給は派遣人生の中で一番安かったけど、一番の激務でした。仕事内容は、採用(新卒、中途)・異動・研修・労務管理・福利厚生に関わる事務処理と多岐に渡り、マイペースにやっていたら破たんしてしまいます。職業訓練校で講師陣が「早く、正確に」と口を酸っぱくして言っていた意味を身を持って知りました。とはいえ、やり方も考え方も分からなかったので自己啓発本を読み漁って自分本位な思考の矯正をし、人並みに仕事が出来るようになりました(お世話になった良書たちは別記事でご紹介します)。

 

一方で人間関係は最悪でした。幼少期に家族に軽んじられた経験と、これまでの失敗から自己評価が極端に低く、話しかけられると(放っておいて欲しい)という気持ちから焦って頓珍漢なことを口走ってしまい、失笑されることが常でした。

その上、部長が平気でモラハラパワハラをする人で、部内の雰囲気はギスギスしていました。目の前で悪口言われるし、ミスすると舌打ちされるし、無知ゆえの奇行を「ヤバイよね~」と笑い者にされたり、「正社員である自分たちは選ばれた存在だから難しい仕事をして、派遣は誰でも出来るような簡単な仕事をやらせればいい」といった心無い差別を受けたり、嫌なことが毎日ありました。

言葉の意味を拾わないよう、耳にシャッターを下ろす癖はここで更に強化されました。おかげで、今でも少しの毒を含んだ楽しそうな話し声を拾うと防衛機能が働くようで内容を理解することができません。雑談に入れないのはけっこう困ります。

私の前に何人か採用した派遣社員たちは皆、長続きしなかったと聞きます。私も目的がなかったら「こんなに性格の悪い人たちと一緒に働きたくありません」とさっくり辞めていたよ。

この仕事にしがみついた理由は、「仕事が出来るようになりたかった」からです。そういった意味では理想的でした。私のことを愚かな派遣と蔑みながらも、人手不足な上に時間が足りないから正社員がやる仕事を丸投げせざるを得ない。おかげさまでたくさんのことを吸収させて頂きました。劣悪な環境に二年も身を置いた代償として、歪みが酷くなりましたけどね…。

 

◆ 何年も解決出来ない壁にぶつかった話

在籍した二年間のうち、つい最近まで未消化だった出来事がありました。

 

それは、新しいもの好きでチャレンジ精神が旺盛な役員による鶴の一声で決まったことが発端でした。

事務作業を誰でも出来るようにしよう」という試みです。

この考え自体は良いことです。属人化した仕事は無駄が多く、不正を隠しやすいですからね。

しかし、その第一歩が私にとって大問題でした。

さすがに全ての事務作業を全員でシェアするのは無理があります。そこで段階を踏まえて役員の希望を叶えることにした課長二人は、私の仕事の一部に目をつけました。理由は、「派遣がやっている仕事だから簡単だろう」という非常に差別的な発想によるものです。

ところが、根回しの下手くそな課長二人は、私のような非正規社員だけでなく部下たちへの説明すら怠りました。バカの一つ覚えのように突然、役員の提唱するキーワードを繰り返すようになり周囲を混乱させます。途切れ途切れに聞こえてくる会話から、自分の仕事がその試みの第一歩となることを知りました。私は何の説明も受けていません。そのプロジェクトを成功に導きたいなら、ビジョンを社内で共有することと当事者の協力を得ることが必要不可欠なはずです。その仕事に誰よりも精通しているのは私でした。当事者なのになぜ蚊帳の外にして何も分かっていない者だけで話を進めるのか。私は激怒し、課長に噛みつきました。差別対象である派遣社員に初めて牙を剥かれた課長も激怒し、互いを否定するだけの非常に醜い争いが起きました。周囲は私がどうしてそこまで怒るのか理解出来なかったようです。私は(自分の仕事を訳の分からないうちに取り上げられて怒らない人なんていないでしょ)と怒りを正当なものだと思っていました。また、課長がどうしてそこまでムキになるのかも分かりませんでした。その子どもっぽい姿は幼少期の私と張り合おうとする父を思い出し、課長への嫌悪感をますます強めることになりました。

とはいえ、異動や配置転換で仕事を取り上げられるのはサラリーマンにはよくあることです。私は何がそんなに気に入らなかったのでしょうか。実際に課長から「何が気に入らないの?」と散々聞かれましたが、私は何も言いませんでした。「私を尊重して欲しい」なんてカッコ悪くて言えなかったからです。「俺に感謝しろ、俺を大切にしろ」は父の口癖でした。それを聞くたびに「バカじゃねーの。自分を大切にして欲しかったら、まずは周りの人間を大切にしろよ」と軽蔑していました。時を超え、自分も同じことを周囲に求めている。そして私も周囲を大切にしていないし、そもそも大切にしようという気持ちすらなかったことに気が付いていたからです。天に唾を吐くようなものですね。

当時考えていたことは「もし、私が正社員であなたたちの仲間だったら、蚊帳の外にはならなかったのではないか」「そもそも私が正社員だったら、誰にでも出来る仕事として白羽の矢が立たなかったのではないか」というものでした。今思えば思考が相当ねじれていますね。なぜならば正社員にも尊重されない人はいますし、派遣社員にも尊重される人はいますから。この頃の私は(どうせこの会社の人とは二年ほどの付き合いだから仕事を覚えることに専念しよう)と社交能力の低さを改善しようとしなかったため言動がおかしく、ちょっと見下されていたことも課長との泥沼抗争に至った理由のひとつだと思います。

さて、私の言う『尊重』の定義とは何でしょうか。

幼少期の話に遡ります。父は、私を尊重しない人でした。具体的には『嫌だと言っても止めてくれない』のです。私の名前を姉と呼び間違えたり(逆はないし、今もそう。おかげで私は自分の名前があまり好きではありません。人に話すと驚かれます)、子どもの私に喧嘩腰の態度を取ること、私を馬鹿にした言動をする、私を無視するといった通常の大人には考えられない頭のおかしさです。止めて欲しいと訴えても『傷つけてやった!」と言わんばかりにニヤニヤ笑うだけ。困惑したぐみちゃんは自分を守るために『嫌な出来事はなかったことにする、忘却する』という選択をします。抗議したところで改善はないし、父を喜ばせるだけだからです。おかげで『君は怒るべきところで怒らないし、怒らなくていいところで怒るから地雷が分からない』と元彼に評される、悲しいモンスターが生まれました。

三年前、元彼との同棲によるストレス(寂しいと言う気持ちを押し殺していたため)が体の不調としてあらわれ、同棲解消を両親に相談したところ、『何もしてやれないから』という理由で同棲の継続はおろか、結婚と出産を強いられ、何もかも嫌になって同棲を解消して逃げ出した私は、『どんなに嫌だと言っても誰も聞いてくれない』とすっかり思い込んでしまいます。実際は、これほど嫌がっている人に強行するような鬼畜は自分の親以外いませんでしたけどね。泥沼になった課長ですら、私に歩み寄ろうと「何が気に入らないのか」を繰り返し尋ねてくれたし、ほぼ私のために社内説明会を開いてくれました(『無理矢理自分たちの言うことを聞かせようとしている!』という嫌悪感でいっぱいだったのでズル休みしてすみませんでした)。

 

これは先日、現在の就業先で似た出来事が起こった際に気付いたことです。たくさんの人に迷惑をかけたのは申し訳ないですが、五年越しの課題がスッキリして安堵しています。

 

ぐみはもう大丈夫です。

あの時は本当にすみませんでした。