発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

愛着障害の治療方法について

先日の記事で『愛着障害の治療の極意とは、気付くこと』と書きました。

 

mauve-jasmin.hatenablog.com

 

選んだ治療法は医療行為ではありません。ただ、カウンセラーと約二時間話をするだけです。まず、日常生活で困っていることを具体的に話します。そして、カウンセラーに導いてもらい、自分の認知の歪み、『あれ、私の言っていることっておかしくね?』に気付くのです。大半は気付くだけで改善されますが、認知の歪みが形成された時期が古ければ古いほど深層心理のヒダに深く刻み込まれているため、自力での改善が難しいのです。そこで、カウンセラーの力を借りて認知の歪みを取り除きます。

私は、これを30回以上行いました。大抵の人は7回前後で身軽になるそうです。随分楽になりましたが、まだ治療が必要だなぁと思います。

 

これだけでは分かりにくいので、カウンセリングで実際に取り除いてもらった、認知の歪み、いわゆる思い込みをいくつかご紹介します。解説付きです。

 

① 私は失敗してはならない。なぜならば、頑張ることはどうせ失敗するし、無駄だったと笑われるから

 

② 私は失敗してはならない。なぜならば、悪意を持って叩く人が必ずいるから

 

失敗シリーズです。昔すぎて具体的な出来事は忘れましたが、10歳前後の子どもの失敗を家族総出で嘲笑、揶揄するって頭おかしいですね。ひとしきり笑い者にして満足したら放置で、フォローなし。その後、何事もなかったかのように接してきます。すごく不気味です。狂気の沙汰としか言いようがない。

 

③ 私は悪影響を与える人間でなければならない。なぜならば、存在意義を失ってしまうから

 

私を共通の敵とすることで家族は結束を強めていました。解決方法も選択肢もないことも理解した上でスケープゴート役を10歳前後で引き受けるなんて、なんと優しくてお利口さんなのでしょう(自画自賛)!当時の自分を抱きしめてあげたいです。

 

④ 私はしなくてもいい苦労をしたことを受け入れてはならない。なぜならば、自分の人生はバカでムダだったと認めることになるから

 

家族が信用できない、なんて普通の人は経験しません。信用しないことを前提に全てを決めるのは非常にストレスです。家の中で通用する処世術は、家の外では通用しません。なので健全なコミュニケーションが取れず、孤立や無視、嘲笑など辛い経験を自分に沢山させてしまいました。しかし、強いストレスを感じながらも、その状態を心地良く思っていました。それが当たり前の世界にいたからです。あー、ぐみちゃんすげぇ可哀相!

 

この思い込みが外れたおかげで、ずいぶん生きやすくなりました。それまでは、『私には無限大の可能性があった。今の負け犬人生は選ばされたのであって、私は納得していない。こんな人生を歩んだ私を私は許せない』と怒りが自分に向き、仕事以外はずっと寝て過ごしていました。体は痛いし、腹の奥に怒りが常に充満しているし、控えめに言ってあれは地獄でしたね。二度とごめんです。

 

⑤ 嫌なことも受け入れなければならない。なぜならば、全てを許すのが家族だから

 

家族からの理不尽な扱いに最初は抗っていました。いつも「家族なんだから(我慢しろ、許せなどが続く)」でなぁなぁにされてきました。

…このカウンセリングで判明したのは、私の一番大切なものは『家族』ということです。でも、現実の家族は、私のすべてを注ぐほどの価値がないように思えました。脳科学の本に、人は相互作用に喜びを感じる生き物だと書いてありました。相互作用とは、自分の言動が相手に響き、良い言動となって返ってくることです(違ってたらすみません)。私の家族は、打っても響きません。話が通じず、空しいだけです。なので、(話の通じない相手に対応するためには、自分も話の通じない人間になるしかねぇな!)という悲しい処世術を会得し、大人になって対人関係で非常に苦労することになります。

今は、『家族とは血縁だけを差すものではない』と気付いたので、趣味を家族だと思って余力を注いでいます。口に出すとヤバイ奴なので人には言いませんけれども。

 

⑥ 私は本気で謝ってはならない。なぜならば自分が悪いと認めると存在がなくなるから

 

この回では、『責任を取りたくないから責任を持って仕事する』という自分の卑怯さに気付かされました。どういうことかと言うと、『出来うる限りの対策を講じ、取り返しのつかない事態が起こるのを防ぐ。いざとなったら会社に何とかしてもらおう』という意味です。…会社にぶら下がっているつもりはなかったのに、実は依存していました、というオチです。

これも昔すぎて具体的な出来事は忘れましたが、10歳前後の頃に父を傷つける発言をし、悪いと思ったので謝りましたが、「はっ」と鼻で謝罪を吹き飛ばされ、その後しばらく無視と悪口という憂き目に遭いました。謝られたら許さないといけませんもんね。でも、その態度は大人げないと思うぞ。父よ。

 

⑦ 欲しいものを先に与えてはならない。なぜならば先に与えてもどうせ手に入らないどころか更にひどくなるから

 

10歳前後のぐみちゃんの悩みは(お姉ちゃんみたいにお父さんと仲良くしたい)でした。父は姉を溺愛しており、姉にはとっても優しかったからです。とても羨ましかった。ぐみちゃんは人間関係の極意である『欲しいものは自分から与える』を感覚的に理解している賢い子(再び自画自賛)だったので、思いつく限りの優しさを父に与えました。それは微妙にずれており父の心には刺さらなかった、もしくは機嫌を取ってもらうのが心地良かったのかは分かりませんが、欲しかったもの、『父の優しさ』は手に入りませんでした。あろうことか、父の要求だけは強くなります。具体的な出来事は忘れたので、例を出すと、「私はリンゴが欲しい。だからお父さんにありったけのリンゴをあげたら、何も貰えずイチゴを要求された」です。

 

書いてて段々ムカついて来ました。

こりゃ父の性格が悪いだけ、のような気もします。

それでも父のことが好きなんですよね。多分、父も私が好きなんでしょう。まだまだ愛憎劇は続きそうです。

 

それでは、また!