発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

繊細さん(HSP)の診断テストのおかげで、本当の自分を思い出すキッカケを得た話

お久しぶりです。

ぐみです。

 

先日、ワイドナショーで「HSP」の特集を見ました。

「ハイリー・センシティブ・パーソン」の頭文字を取った造語で、「場の空気を読み過ぎて疲れ切ってしまうなど、生まれつき感受性が強く敏感な体質を持つ人」のことです。「繊細さん」と言い換えられています。

 

同番組で紹介された診断テストは以下のとおりです。

全部で11個あり、男性は7個以上、女性は8個以上でHSPの傾向が高いそうです。

テレビを見ながら、いくつ当てはまるか数えてみました。

 

① 一度にたくさんのことが起こっていると不快になる ⇒当てはまる

② 忙しい日々が続くと、ベッドや暗くした部屋などプライバシーが得られ、刺激の少ない場所に逃げ込みたくなる ⇒当てはまらない

③ 明るい光や強い匂い、ごわごわした布地、近くのサイレンの音などにゾッとしやすい ⇒当てはまる

④ 短時間にしなければならないことが多いとオロオロする ⇒当てはまらない

⑤ 生活に変化があると混乱する ⇒当てはまる

⑥ 大きな音や雑然とした光景のような強い刺激が煩わしい ⇒当てはまる

⑦ 他人の気分に左右される ⇒当てはまる

⑧ 大きな音で不快になる ⇒当てはまる

⑨ 一度にたくさんのことを頼まれるとイライラする ⇒当てはまる

➉ 色々なことが自分の周りで起きていると不快な気分が高まる ⇒当てはまる

⑪ 競争場面や見られていると、緊張や動揺のあまりいつもの力を発揮できなくなる ⇒当てはまる

 

…9個当てはまります。

HSPの傾向が高いということになりますが、

 

まず思ったのは

 

「誰だコレ?」

でした。

 

次に浮かんだのは、

「私ってこんな人だっけ?」

でした。

 

それから(今の自分は本当の自分じゃないのでは)と思うようになり、カウンセラーの先生にこの話をしてみたところ、

「ぐみさんはHSPじゃないねー」とアッサリ言われ(笑)、吹っ切れたのか色々と思い出したのです。

 

本来の私は、

明るく、爽やかで、シンプルな考え方の持ち主」だと。

 

小学校中学年くらいまでは本来の自分を保てていましたが、

被害妄想が強く、思い込みが激しい家族やクラスメイトに翻弄され、いつしか私も被害妄想が強く、思い込みが激しい人間になってしまったのです。

 

具体的には、

人のせいにする

揚げ足を取る

言いがかりをつける

人を見下す

バカにされたと感じやすく怒りっぽい

・決めつける

といったような言動です。

 

カウンセリングで情緒不安定さは随分改善されたと思っていましたが、先日、家族と同じことを他人にしていると気づいてゾッとしました。

 

まずは年始に実家に帰った時のことを聞いてください。

母にくだけた冗談を言ったら彼女の顔が強張り、(まずいこと言ったかな)と思う出来事がありました。でも、母は何も言わなかったので謝らずそのまま流しました。

数時間後、母に「それ取って」と頼み事をしたら、悪意のある笑みを浮かべながら頼んだものを投げつけられ、突然の攻撃に心底驚きました。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする私を見て、母は満足そうでした。

 

(実はあの時のこと怒ってて、意趣返しの機会を虎視眈々と狙っていたのかな。こわっ、不満があったらその場で言えばいいのに。何も言われてないのに唐突に謝るのも変だし、怒りが収まるのを待つか)と思いつつ、(そういや、この「やられたらやり返す」は我が家の伝統芸だったな)と思い出しました。それが日常だから、いつ攻撃が飛んでくるか分からず、落ち着かない日々を過ごしていたっけ。

 

話は数日前に戻り、職場で虫の居所が悪い同僚に質問したら、めちゃくちゃキレられました。そんな反応が返ってくると思わなかった私は内心驚きつつ、そのまま流しました。しかし、時間が経つにつれて驚きが怒りに変わり、(どんなに余裕がなくても、私はお前にそんな態度を取ったことはないぞ)というムカつきが寝ても収まりませんでした。

翌日話しかけて来た同僚を冷たくあしらい、(ざまぁみろ)と思いました。それから、同僚に用があるときしか話しかけなくなりました。(お前が悪いんだから、謝るか、普通に話しかけてくれたら許してあげてもいいんだけど)と思っていましたが、同僚が話しかけてくることはなく、現在も冷戦状態が続いています。

 

昨日、イライラがピークに達し、

(私は被害者なのに、どうしてお前は謝らないんだ!)と激怒している時に気付いたのです。カウンセリングのおかげか、追い詰められた時に打開策を見つけられるようになりました。感謝。

 

何に気付いたのかと言えば、

気に入らないことがあった時、家族と同じ怒り方をしているということです。

 

それは、

その場では何も言わない

「こんな酷いことされた」と周囲に被害を言いふらし、罰として当人を孤立させようとする

意趣返しをする機会をいつまでも狙っている

です。

 

同僚との出来事に全て当てはまるではないですか!

 

二番目だけは少し違って、周囲に被害を言いふらしこそしませんが、(あんな酷いことされたんだから私は怒って当然だよね)と怒りを周囲に振りまき同僚の孤立を扇動しようとしているためやっていることは同じです。

 

うわぁ~、恥ずかしい!

随分改善したと思っていたのに、まだこんな思考回路が残っていたとは。

カウンセリングの先生に「一生続くよ」と言われましたが、多分こういうことだと思い知らされました。

 

でも、週明けに同僚に話しかける気にはなれないんだな~

なぜかといえば、「私はこんなに我慢しているんだから、お前も少しは踏ん張れよ」という気持ちがあるからです。

 

…ところで「我慢」ってなんですかね。

いつも機嫌よく振る舞うことを強要されているでもなく、自分の意志でやっているはずなのに、どうして被害者意識が抜けないんでしょう。近日、カウンセリングの予約をしました。そろそろチームの健全な運用に支障をきたしますから。

 

変な思い込みが解消されますように。

過去のブログを読み返してみた

3年前に書いたと思えないくらい幼く感じ、自分の成長を噛みしめています。恥ずかしいですが、ここまで個人の心情をぶちまけているブログは今日日珍しく、助けになる人も多かろうと思うので消さず、修正もせず残しておく所存です。

 

数々の心の荷物を手放して思ったのは、家族は私のことが嫌いなのではなく、『その時、自分が嫌だったから』という理由で、その場その場を自分に正直に生きているだけなんだろうなということです。

ひとことで言うと『強烈な気分屋』でしょうか。

根っからの悪人ではないのです。

 

母には愛着障害のことを少し打ち明けたことがあり、それでも彼女は父のことを「気の弱い、どこにでもいる普通の気の良いおじさん」と形容します。

 

最初聞いたとき、「そんなわけ、ねーだろ!!(怒)」と思いました。

 

父が善良な人間だとすると、「周囲から孤立した私の学生時代は、20代はなんだったの?私は、私の勘違いで自分の人生を台無しにしていたの?これからどうやって生きていけばいいの?」と絶望に心が苛まれてしまうから。

 

カウンセリングを繰り返す中で、『自分にも悪いところはあったかもしれない』を受け入れるのは本当に怖かったです。

 

小学校高学年の頃、こんなことがありました。

 

父は姉と私に、「ふたりで使いなさい」と100色の色鉛筆セットをプレゼントしてくれました。絵を描くのが好きな姉妹は喜びました。

でも、姉妹の間に亀裂が入ります。ぐみちゃんが色鉛筆を使ったあと片づけないからです。お姉ちゃんはぐみちゃんに何度も「使ったら片づけて」と言いました。けれど、ぐみちゃんは言うことを聞きませんでした。なぜならば、ぐみちゃんのお願い(私を邪険にしないで等)をお姉ちゃんが聞き入れたことはなかったからです。なのでぐみちゃんは思いました。(私のお願いを聞いてくれないお姉ちゃんのお願いなんて聞く必要ない!)

そして激怒したお姉ちゃんは、ぐみちゃんが色鉛筆を使おうとしたところ、「二度とあんたにこの色鉛筆は使わせない!」と宣言します。ぐみちゃんは当然反論しました。「お姉ちゃんひとりのものじゃないんだから勝手に決めないで」

すると事の成り行きを見ていた父が口を出します。「お姉ちゃんが正しい。お前は二度とこの色鉛筆を使うな」と勝ち誇ったような顔でニヤニヤしながら言います。この頃、既に父との折り合いが悪く、父は私をやりこめるチャンス到来だ、と言わんばかりに責め立てます。

 

「私のお願いを聞いてくれないお姉ちゃんのお願いなんて聞きたくない」は言えませんでした。ここで泣きながらぶちまけたとしても、父と姉は喜ぶだけで改善しないだろうと思ったからです。本当の弱みを見せると、その弱みを狙われるだけだと信じていたからです。10歳そこらの子どもがこんな殺伐とした考え方をするなんて、やっぱり普通の家庭ではないと思います。

 

分の悪い戦いに母が参戦し、ぐみちゃんをかばってくれました。しかし、「我こそ正義」を振りかざす父と姉の勢いは交渉どころではなく、そのあとどうなったのか覚えていませんが、色鉛筆を使えなかったことは確かです。子ども心に、この姉妹喧嘩は夫婦喧嘩の代理戦争だと思いました。

 

欲を言えば、父にはこの喧嘩の仲裁をしてもらいたかったです。だって、二度と色鉛筆を使わせないという判決は取り付く島がなさすぎるではありませんか。「一週間使用禁止」などの落としどころを見つけて欲しかった。それなのに、ただ感情的に「お前が悪い」と責め立てる父の嬉しそうな顔には心底ガッカリしました。

 

この件のあと、ぐみちゃんはお小遣いで20色の色鉛筆セットを買い、100色セットに二度と触れようとしませんでした。普通の子なら落ち着いた頃に何でもない顔をしてしれっと100色セットを使うでしょうが、目ざとい父が必ず見つけて「使っちゃダメって言ったのに使ってるぅ~」などと揚げ足を取ってくるだろうと思ったからです。

 

100色セットに目もくれなくなったぐみちゃんを見て、家族は引き攣った笑顔を張り付けて「色鉛筆使っていいから」とひとりずつ言いに来ました。父と姉には「二度と使わせないって言ったでしょ。だからもう使わないよ」と言い、母には「もういいや」と返しました。そんなケチのついたもの、見るのも嫌になっていたからです。

 

家族はぐみちゃんを「我が強い!」と非難し、ひとしきりぐみちゃんの悪口を言い合い、より結束を深めましたとさ。おしまい

 

今思い出しても結構ムカつくし悲しいお話です。

けれど、ぐみちゃんの悪かったところは、『ぐみちゃんに対するお姉ちゃんの言動がどうあれ、使ったものを片づけるという人類共通のルールはいかなる時も守るべきだった』と思います。たとえお姉ちゃんが「あんた邪魔」「あんたなんかいなければいいのに」などと日常的に言っていたとしても、使ったものは片づけれなければなりません。被害に遭っていることは、ルールを守らない免罪符にはなりません。『人を邪険にしない』のもルールですが、他人は変えられません。変えられるのは自分だけです。ここはぐっとこらえて、ルールを守れば良かったけど、(どうして私ばかり我慢しなくちゃいけないの)という思考に囚われちゃったから苦しいね。こういったことは本当は親が教えるものですが、知らないことは教えられないし、仕方ないねと今は思います。

 

こんな家族の中で気高く生きるのは大層難しく、自分本位に生きるようになったのは客観的に見れば自業自得ですが、主観的に見ると『世の中って厳しいな!』と思います。まぁ、「ぐみは家族からイジメに遭って孤立していたから言動がおかしいの。許してね。優しくしてね」でみんな納得するかと言ったらしませんね。私が『みんな』だったら(こいつ、やべー奴だ。関わらんどこ)と距離を置きます。

愛着障害の治療方法について

先日の記事で『愛着障害の治療の極意とは、気付くこと』と書きました。

 

mauve-jasmin.hatenablog.com

 

選んだ治療法は医療行為ではありません。ただ、カウンセラーと約二時間話をするだけです。まず、日常生活で困っていることを具体的に話します。そして、カウンセラーに導いてもらい、自分の認知の歪み、『あれ、私の言っていることっておかしくね?』に気付くのです。大半は気付くだけで改善されますが、認知の歪みが形成された時期が古ければ古いほど深層心理のヒダに深く刻み込まれているため、自力での改善が難しいのです。そこで、カウンセラーの力を借りて認知の歪みを取り除きます。

私は、これを30回以上行いました。大抵の人は7回前後で身軽になるそうです。随分楽になりましたが、まだ治療が必要だなぁと思います。

 

これだけでは分かりにくいので、カウンセリングで実際に取り除いてもらった、認知の歪み、いわゆる思い込みをいくつかご紹介します。解説付きです。

 

① 私は失敗してはならない。なぜならば、頑張ることはどうせ失敗するし、無駄だったと笑われるから

 

② 私は失敗してはならない。なぜならば、悪意を持って叩く人が必ずいるから

 

失敗シリーズです。昔すぎて具体的な出来事は忘れましたが、10歳前後の子どもの失敗を家族総出で嘲笑、揶揄するって頭おかしいですね。ひとしきり笑い者にして満足したら放置で、フォローなし。その後、何事もなかったかのように接してきます。すごく不気味です。狂気の沙汰としか言いようがない。

 

③ 私は悪影響を与える人間でなければならない。なぜならば、存在意義を失ってしまうから

 

私を共通の敵とすることで家族は結束を強めていました。解決方法も選択肢もないことも理解した上でスケープゴート役を10歳前後で引き受けるなんて、なんと優しくてお利口さんなのでしょう(自画自賛)!当時の自分を抱きしめてあげたいです。

 

④ 私はしなくてもいい苦労をしたことを受け入れてはならない。なぜならば、自分の人生はバカでムダだったと認めることになるから

 

家族が信用できない、なんて普通の人は経験しません。信用しないことを前提に全てを決めるのは非常にストレスです。家の中で通用する処世術は、家の外では通用しません。なので健全なコミュニケーションが取れず、孤立や無視、嘲笑など辛い経験を自分に沢山させてしまいました。しかし、強いストレスを感じながらも、その状態を心地良く思っていました。それが当たり前の世界にいたからです。あー、ぐみちゃんすげぇ可哀相!

 

この思い込みが外れたおかげで、ずいぶん生きやすくなりました。それまでは、『私には無限大の可能性があった。今の負け犬人生は選ばされたのであって、私は納得していない。こんな人生を歩んだ私を私は許せない』と怒りが自分に向き、仕事以外はずっと寝て過ごしていました。体は痛いし、腹の奥に怒りが常に充満しているし、控えめに言ってあれは地獄でしたね。二度とごめんです。

 

⑤ 嫌なことも受け入れなければならない。なぜならば、全てを許すのが家族だから

 

家族からの理不尽な扱いに最初は抗っていました。いつも「家族なんだから(我慢しろ、許せなどが続く)」でなぁなぁにされてきました。

…このカウンセリングで判明したのは、私の一番大切なものは『家族』ということです。でも、現実の家族は、私のすべてを注ぐほどの価値がないように思えました。脳科学の本に、人は相互作用に喜びを感じる生き物だと書いてありました。相互作用とは、自分の言動が相手に響き、良い言動となって返ってくることです(違ってたらすみません)。私の家族は、打っても響きません。話が通じず、空しいだけです。なので、(話の通じない相手に対応するためには、自分も話の通じない人間になるしかねぇな!)という悲しい処世術を会得し、大人になって対人関係で非常に苦労することになります。

今は、『家族とは血縁だけを差すものではない』と気付いたので、趣味を家族だと思って余力を注いでいます。口に出すとヤバイ奴なので人には言いませんけれども。

 

⑥ 私は本気で謝ってはならない。なぜならば自分が悪いと認めると存在がなくなるから

 

この回では、『責任を取りたくないから責任を持って仕事する』という自分の卑怯さに気付かされました。どういうことかと言うと、『出来うる限りの対策を講じ、取り返しのつかない事態が起こるのを防ぐ。いざとなったら会社に何とかしてもらおう』という意味です。…会社にぶら下がっているつもりはなかったのに、実は依存していました、というオチです。

これも昔すぎて具体的な出来事は忘れましたが、10歳前後の頃に父を傷つける発言をし、悪いと思ったので謝りましたが、「はっ」と鼻で謝罪を吹き飛ばされ、その後しばらく無視と悪口という憂き目に遭いました。謝られたら許さないといけませんもんね。でも、その態度は大人げないと思うぞ。父よ。

 

⑦ 欲しいものを先に与えてはならない。なぜならば先に与えてもどうせ手に入らないどころか更にひどくなるから

 

10歳前後のぐみちゃんの悩みは(お姉ちゃんみたいにお父さんと仲良くしたい)でした。父は姉を溺愛しており、姉にはとっても優しかったからです。とても羨ましかった。ぐみちゃんは人間関係の極意である『欲しいものは自分から与える』を感覚的に理解している賢い子(再び自画自賛)だったので、思いつく限りの優しさを父に与えました。それは微妙にずれており父の心には刺さらなかった、もしくは機嫌を取ってもらうのが心地良かったのかは分かりませんが、欲しかったもの、『父の優しさ』は手に入りませんでした。あろうことか、父の要求だけは強くなります。具体的な出来事は忘れたので、例を出すと、「私はリンゴが欲しい。だからお父さんにありったけのリンゴをあげたら、何も貰えずイチゴを要求された」です。

 

書いてて段々ムカついて来ました。

こりゃ父の性格が悪いだけ、のような気もします。

それでも父のことが好きなんですよね。多分、父も私が好きなんでしょう。まだまだ愛憎劇は続きそうです。

 

それでは、また!

2020生存報告

お久しぶりです。

ぐみです。

 

記事を書かない間、色々なことがありました。

 

目に見える一番の変化は、同じ会社で派遣社員から直接雇用に切り替わって一年が経とうとしていることです。リーマンショック以降初の事例だそうで、私は非常に運が良い。

 

ラッキーを引き寄せた理由は、『余計な言動をしない』ことに尽きると思っています。

 

(認められたい)

(好かれたい)

(感謝されたい)

という気持ち、いわゆる承認欲求が強い人は客観的に見て余計なことを言ったり、やったりする傾向にあり、周囲に迷惑をかけた結果、自分の評価を落としてしまいます。

 

これは差はあれど誰でも持っている欲望で、もちろん私にもあります。20代のうちは振り回されて散々な目に遭いました(詳細は別記事をご覧ください)。今は付き合い方を覚え、仕事上は自分の都合を横に置いて最大多数の最大幸福を追求することが出来るようになりました。その方が評価されることを知っているからで、承認欲求が無くなったわけではありませんけれども。長い目でものを見れるようになっただけです。年を重ねてズルくなっただけかもしれませんが、今の自分の方が好きです。

 

また、愛着障害の治療も確実に前へ進んでいると感じます。

 

元旦に実家へ帰省した時、こんなことがありました。

父、母、姉、私の四人家族で外食をすることになり、車で五分ほどのファミレスへ行きました。そこはドリンクバーがあり、みんな思い思いのタイミングで席を外し、好きな飲み物を持ってくるスタイルです。

さて、母がドリンクバーに行っている間、父姉私の三人は食後の話をしていました。車で買い物に行く予定で、父は行かないことを表明していました。自宅前まで父を車で送ると思っていた私は、姉の唐突な「お父さんは歩いて帰って」発言に驚きました。目的地は自宅の先にあるため父をファミレスに置き去りにするのは意味がないし、冗談にしては面白くないからです。なので「えっ、それ酷くね?イジメじゃん」と颯爽と突っ込み、父は「いつもこうなんだ」とぼやき、三人でわっはっはと笑っているところに母がドリンク片手に戻ってきました。

 

すると、母は「私の悪口で盛り上がっていたんだろう」と唐突に怒り出したのです。

 

ビックリした私は違うよ、とだけ言いました。父と姉は何も言わずニヤニヤしています。母は「嘘だ!」と私の言葉を否定します。さっきまであんなに楽しかった場の空気は明らかに変わり、緊張をはらんで張り詰めています。あろうことか母は顔を真っ赤にして半泣きでした。こりゃまずいと思った私は、さっきのやり取りを丁寧に話しました。母は必死の形相で私の説明を聞き、父と姉は相変わらず黙って薄ら笑いを浮かべています。

私の話を聞いて母は安心したようで、空気は元に戻りました。その後何事もなかったかのように振る舞う家族を見て、「こいつはやべぇな、そりゃ私も愛着障害をここまでこじらせるわけだ」と腹落ちしました。

 

一連の出来事以外にも、ファミレスでの家族の振る舞いを見て(野蛮だなぁ…)と内心思っていましたが、これが一番不気味に写りました。我が家では、『その場にいない人の悪口を言う』のも『自分たちが原因で情緒不安定になっている人を放置する』のも『安心してもらうために言葉を尽くして説明しない』のも『なぁなぁにする』のも当たり前のことだからです。ひとことで言うと、愛がないのです。

 

私の家族のように「今の自分の気持ちが一番大事!相手がどう思うかも、後先もどうでもいい!」という究極の破滅型自分本位タイプは現在の生活範囲内でお目にかかることがない人種で、新鮮な驚きがありました。

 

子どもの頃、何かするたびに両親から「社会に出たら苦労するわ」と鼻で笑われましたが、そりゃ我が家のルールを外に持ち出したら人間関係は上手く行かないだろうなぁと思います(そういう意味で言ったんじゃないでしょうけれども)。父は転職を繰り返し、母と姉は会うたびに「人と関わらない仕事がしたい」と言います。

 

後日姉と話す機会があり、彼女は「うちの家族、おバカでにぎやかでしょ~」と表現しました。私は(あんな殺伐としててそりゃね~だろ、でも今さら現実を認識させるのも酷だから何も言わないでおこ)と判断し、「そうだね…」と返しました。

実際、現実が見えていないと思うのです。

母は父の扶養に入れる範囲で働き、姉は仕事が辛くて社員からアルバイトに雇用形態を切り替えました。よって一家の大黒柱は年金をもらいながら社員として働く父です。久しぶりに数日一緒に暮らし、父に対する扱いが特に酷くて驚きました。ファミレスで父を嘲笑しながら食事をするのは、父の稼ぎがないと出来ないことです。それを分かっていたら、あんな態度は取れないと思います。それとも家族と別居の期間が長いから変に思うだけで、家族ってこんなもんなんですかね?

でも、ひとしきり笑い者にされた後に暗い目をした父が発した「俺さえ我慢すればいいんだ、俺が全部悪いことにしておけばいいんだ」が忘れられません。本心は絶対そう思っていないのに、そういうことにしておかないと家族とやっていけない。我が家の深遠なる闇を見ました。改善には相当な痛みと時間を伴うので、きっと一生このままでしょう。

 

治療のおかげで、こうして状況を客観的に見れるようになり、殺伐とした雰囲気を変えられるようになって本当に良かったなぁと思います。そろそろ五年目に突入しますが、まだまだ道半ばといったところです。欲しいのに手に入らないから諦めることを繰り返して来たので、私は自分に嘘をつくのが非常に上手いのです。治療の極意とは、気付くことです。

 

(私を見て)
(私のことを分かってほしい)

(お姫様扱いされたい)

(ありのままの私を愛してほしい)

が本音だなんて信じられない!長いこと、自分には承認欲求がないと思っていました。まぁ承認欲求がなきゃブログなぞ書きませんけどね。強烈な自己矛盾の塊が私なのです。もっと自分のことを知りたい。

 

そういえば、自分よりも年下の優秀な人を見ても負の感情(焦りや後悔、自分への怒りなど)が湧かなくなったなぁ。治療を経て、こうやって色んなことが平気になっていくのでしょう。楽しみです。

 

それでは、また!

上京して15年以上経っているのに気付いていなかったことにビックリした話

正確には、今年の4月で17年目を迎えます。

 

すごいな。

もういっぱしの東京人じゃないか…!(うぬぼれ)

 

◆ 真っ先に思ったこと

『色々なことがあって、よく頑張ったなぁ。

そりゃ社会不適合者でも、15年必死にもがけば、自分とも周囲とも折り合いをつけられるようになるよね』

と、自分の歩んできた道を誇らしく思いました。

 

正社員の仕事を半年でクビになった20代半ば、幼いままの自分が情けなくて誰か違う人間になりたかった。自分が嫌で、変わりたいのにどうすればいいか分からなかった。立派な大人になりたかった。

 

…そんな気持ちを抱えながら、六本木ヒルズ内にあるスタバにコーヒー一杯で長時間居座り、併設するオフィスビルを行き交う人たちを羨ましそうな目つきでずっと眺めていたことを思い出しました。姿勢が良く、見栄えのいい服を着こなして颯爽と歩くスマートな彼らが眩しく映り、何も出来ない自分が酷く惨めでした。

 

◆ 時の経過に気付かなかった理由

見ないようにしていた、が正しいでしょう。気付いてしまうと、間違いなく『なんて無益な時間を過ごしてしまったんだ…!』と絶望で目の前が真っ暗になり、前に進む気力どころが生きる気力を失ってしまいそうだからです。私を守るために、無意識さんが良い仕事をしてくださったようです。サンキュー自分。

 

◆ 考えなくなったこと

・貴重な20代を無駄にしてしまった

・あと5歳若ければ、○○が出来るのに

・社会不適合者だった恥ずかしい過去をなかったことにしたい

・あんな両親の元に生まれたくなかった

 

考えるたびに心が囚われて苦い後悔で胸が苦しくなり、時や場所を選ばず涙ぐむほど執着していたのに全然気にならなくなりました。

カウンセリングを何度も受け、自分でも気付いていなかったこだわりを手放したおかげです。

 

そして、これは時が自然と解決してくれるものではないことも知っています。

先日、60歳過ぎの女性とお話する機会がありました。

彼女もお父上と折り合いが悪く、最後まで和解することはなかったそうです。

随分昔に鬼籍に入った彼のことを思い出す時は、良いことしか浮かんでこなくなるものですか?と問うた私に、彼女は『そんなことないわよ』とあっけらかんと言い、私は内心驚きました。清濁合わせ飲んできたであろうこの人にも、まだ昇華出来ないことがあるんだと失礼ながら思ったからです。

 

◆ 昔あこがれた人と同じ年になったことにも気付いた

先日、35歳になりました。

35歳と言えば、健康診断の内容が変わる年です。

 

それで、『この人みたいになりたい』と憧れた人が嘆いていたことを思い出しました。

 

その人は、かつての派遣先の同じ課で働いていた人で、『俺ももう人間ドックを受ける年か~!まだ若いと思ってるのに。すげぇショック』と仲良しの20代女性に繰り返し嘆いていました。

 

彼の何に憧れたのか、というと、

その職場は新卒入社した人が大半を占め、中途入社者は少ない会社でした。

憧れのその人は別業種から転職して来た人で、最初はよそ者でした。それなりの歓迎を受け、悔しい思いを何度もしたことと思います。しかし、社内での地位を着実に築き、同期飲みという新卒入社時から苦楽を共にしてきた者たちしか参加出来ない閉ざされたコミュニティに呼ばれるようになり、『○○さんはうちらと同い年だから、もう同期でよくね?』と仲間認定されるほどの高いコミュニケーション能力を持っていました。

 

また、肝心の仕事ぶりは判断力と理解力に優れ、上級総合職に昇進するのも早かったです。

 

更に、後輩から慕われ、経営陣や上司からも一目置かれ、『○○に任せておけば大丈夫』と厚い信頼を得ていました。私の知る限りでは、社内で彼を嫌う人はいませんでした。

 

…まぁ、損得勘定はすごかったですけどね。

だって、その人、仲良くしても全く得しない派遣社員の私のこと超嫌ってたし、バカにしてるの隠さなかったもん(笑)。

当時の私は空気が読めず、バカでマイペースだったから、調和を重んじ、スピード感を重視する彼には耐えられない存在だったのでしょう。よく真顔で『いい年(当時は20代後半)してボーっとしてて大丈夫?恥ずかしくないの?』などと責められたし、笑い者にもされていました。

 

…そういった性格の悪いところもひっくるめて好きでしたよ。私に矛先を向けるのは辞めて欲しかったけれども。人間らしくて良いじゃないですか。あ、恋愛感情は全くありませんので、その辺は誤解なきように。憧れていたことは最後まで言わなかったし。

 

今頃はもっと出世してるんじゃないでしょうかね。

日経で会社の記事を見るたびに彼を思い出します。

あーゆう人に私もなりたい。

 

◆ 今後の課題

彼みたいになるためには、人に好かれなくてはなりません。

 

人心を掌握するためのハウツー本を読み漁ってきましたが、自分の血肉となった感じは全くせず、ずっと不思議に思っていました。

 

最近、数々の思い込みから解放されたおかげで、ふと気付いたのです。

 

『あれっ?そもそも私、人に好かれるのを恐れてわざと嫌われるような言動を取っていないか?』と。

 

弱肉強食の不健全な子ども時代を生き抜くために身に付けた考え方が、健全に生きようとする現在の私の足を引っ張っています。家庭内では有効な処世術でしたが、家庭の外では毒にしかならない古いやり方です。でも、私の中にそれは血肉となって息づいており、有害なものであることすら自力では気付けません。解毒するにはプロの力が必要です。

よって、明日カウンセリングを予約済みです。

あー楽しみ。

 

一年ぶりに帰省した実家にはびこる機能不全の正体に気付いた話

あけましておめでとうございます。

変わらず、マイペースに記事を増産していこうと思っています。

 

さて、先日の記事で『愛着障害を克服できたかもしんまい!』と嬉々としてご報告しましたが、だったことが今回の帰省で判明しました。

無念なり。

まぁ、一歩一歩着実に前に進んでいる実感があるからめげませんけど。

ゆっくり行きましょう。

 

◆ 実家は、仕返しの文化がはびこっていた

一年ぶりに家族と接して驚いたのは、私の言動でムッとしたことがあった場合、そこでは何も反応せず、時間を置いて報復してくるところです。

ここでいう報復とは、はしごを外す、嫌がると分かっていることをわざとする、などです。

まさか腹の内でそんな算段を企てているとは知らないので、唐突な攻撃を受けるとすごくビックリします。呆気に取られた私の顔を見て、溜飲を下げた家族は満面の笑みを浮かべ、とても嬉しそうでした。

い…陰険だなぁ。

久しくそんな人種と関わってなかったので、すっかり忘れていましたが、それが怖くて愛着障害をこじらせていたのでした。

いつ飛んでくるか分からない攻撃に備えて常に身を固くしていたし、攻撃対象となることを恐れて自ら発信することも避け、いないふりを徹底していました。

 

◆ 男性性を競う文化について

しみじみと自分の歴史を振り返った翌日、こんな記事と出会いました。

katsumakazuyo.hatenablog.com

勝間さん、好きなんですよ。

工夫を凝らして家事をスマートに行う姿は憧れます。

 

その中で、勝間さん(と私)が衝撃を受けた記事がこちらです。

www.dhbr.net

『あ、ああ~』と腑に落ちました。

これと上手に付き合うことができなくて、私は今の生き方を選択しているんだった。

 

かいつまんで説明(リンク先をご覧いただくほうがずっと分かりやすいです)すると、

組織に機能不全を招く思考は以下の四つで構成されており、こうした考え方が組織に根を張る理由は、こういった振る舞いをすること自体が「男性らしさ」を意味し、男性は自身が男であることを証明しなければならない。それも一度きりではなく、何度でも『自分の方が男らしい』と。

 

弱みを見せてはならない

強さを誇示しなくてはならない

仕事最優先

弱肉強食

 

上記を徹底していたら、そりゃあ疲弊するでしょう。

終わりのない競争は不安と保身を増長させ、その場にいる人間の活力を奪います。

 

…こういった職場、非常に既視感があります。

全部こんな感じだったなぁ。

特に④の弱肉強食、『非情な競争にあふれ、「勝者」(最も男性的な人)が「敗者」(あまり男性的でない人)を負かすことに力を注ぎ、誰も信頼されない』とか『有害なリーダーが、自分の自尊心を守るために他者を侮辱したりいじめたりする』とか身に覚えがありすぎるもん。(実家の機能不全の根っこも、これが理由だと思う。①~④は父の思考回路そのものだし、父が加わると途端に不協和音が発生する)

 

これが嫌で、気軽に辞められる派遣社員という雇用形態を取り職場を転々とし、プライベートですら、どこにも所属せずに孤独を一番の友人として暮らす生き方を良しとしてきました。

 

でも、こんなのに囚われる生き方、もう辞めたい。

 

私自身は『男性らしさの誇示』とは無縁の生き方をしていると思う。

疑問はすぐ口にする、人の話は最後まできちんと聞く、休憩をしっかり取る(基本怠け者だから)、周囲との連携を図るといったように。

酷い気持ちになるのは、決まって上記の流儀を押し付けてくる人(男女問わず)に会ったときです。

余計なエネルギーを流出して自分を疲弊させて傷つけないためにも、付き合い方の落としどころや、自分の考え方の矯正をしないといけませんね。

罪悪感が愛着障害の根っこにあった件

お久しぶりです。

ぐみは元気です。

 

二ヵ月に一回のペースでカウンセリングを受けるようになり、二年半が経ちました。

過酷な幼少期を生き抜くために身に付けた思い込みから解き放たれ、随分と楽になりました。

世界はいい意味で単純で、幸せは常に私と共にある、と思えるようになってきました。

家族、主に父への憎しみも、無駄にしてしまった20代に対する後悔も薄れてきました。

このブログの過去の記事を読み返し、『思い込み激しいな~』と苦笑するくらいの余裕も出てきました。

 

それも全て、生存本能に直結するレベルの思い込みに気付くことができたからです。

 

◆ 何度カウンセリングを受けても克服できなかった恐怖と怒りについて

 

①人の目線が怖い

②笑い者にされるのが怖い

③私の近くで楽しそうに話をする人たちが怖い

④無視されるのが怖い

 

それぞれ解説していきます。

 

①人の目線が怖い

とはいっても、気の置けない人と話すとき、それ以外でも一対一で話すときや仕事の話をするときは全く怖くありません。恐怖を感じるのは、ちょっと離れた距離から理由も分からず見られているときです。ふと目線をやった先で誰かと目が合うと最悪です。咄嗟に目を逸らしてしまいます。普通の人は目が合ったらニコッと笑うそうですが、私にとってアイコンタクトは『絶対に出来ないこと』のひとつでした。

 

②笑い者にされるのが怖い

尊重されないのは誰でも嫌なものですが、私の場合は重症でした。必要以上に傷つき思考停止してしまい、無気力状態が幼少期からつい最近まで続いたほどです。

 

③私の近くで楽しそうに話をする人たちが怖い

主に職場での話ですが、プライベートな話をしている人たちの声が聞こえてくると落ち着かない気持ちになります。『早く終わらないかな』『私が聞こえないところで話してくれないかな』とイライラするほどでした。そんなときはいつも、耳にシャッターを下ろして仕事に集中していました。傍で聞いている人が雑談に反応し、私以外の全員が笑っているときも会話に加わらずにいました。フルシカトです。すごく感じが悪いですね。でも、会話の意味が拾えないため、頓珍漢な発言をするよりは我関せずの態度を貫いた方が笑い者にされる機会が少なく、私にとってはメリットが大きかったのです。

 

④無視されるのが怖い

私の存在を認識した上で、無視されるのを異常に恐れ、アイコンタクト恐怖とコラボして挨拶すらろくに出来ない状態の時もありました。

 

①~④の状態に陥った原因と決めつけた人(主に家族)へ『あの人がこんなことしなければ(言わなければ)こんなことにならなかったのに!』と理不尽な怒りを募らせて心身のバランスを崩し、長いこと情緒不安定でした。

 

◆ 上記の恐怖は、全て生存本能と直結するものだった

幼少期、家族から虐げられていたぐみちゃんは、その理由をこう考えていました。

『私はいらない子なんだ。私がいなければ全てうまくいくんだろう』

それを裏付けるように家族は事あるごとに『お前なんていなければいいのに』と言葉で目線で態度で訴えてきます。

…おかげで自分が存在すること自体が罪深いと思っていたのです。

 

そのため、『じっと見つめる』『笑い者にする』『仲間外れにする』『無視をする』という行為はすべて、私という人間が存在しているという罪に対する罰だと思っていました。

でも、それを認めてしまうと生きていけません。

だから、罪悪感を感じないために他人のせいにして怒りを転嫁する術を身に付けました。

そのうち、『人(私)に迷惑をかける奴は、何をされても仕方ない』という考えに代わり、自分も他人へ罰を与えるようになりました。

 

元々、他人に感じる制御不能な怒りとは、自分自身に怒っていることが大半だそうです。自分に怒りを向けるわけにはいかないから他人に転嫁するのです。

私のアンガーポイントは『罪悪感から目を逸らすため』ということに気付いてからは、怒りに飲まれることがなくなりました。

 

また、仕事以外はほぼ引きこもりなのも、人と関わることで罪悪感を感じたくないからだということに気付きました。

 

気付いてみれば『なーんだ』と思うことだらけですが、気付くまでが大変で、しんどかったです。

 

好転していく自分の今後の人生が楽しみになりました。

来年の今頃、私は何をしているんだろう。