発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

過去のブログを読み返してみた

3年前に書いたと思えないくらい幼く感じ、自分の成長を噛みしめています。恥ずかしいですが、ここまで個人の心情をぶちまけているブログは今日日珍しく、助けになる人も多かろうと思うので消さず、修正もせず残しておく所存です。

 

数々の心の荷物を手放して思ったのは、家族は私のことが嫌いなのではなく、『その時、自分が嫌だったから』という理由で、その場その場を自分に正直に生きているだけなんだろうなということです。

ひとことで言うと『強烈な気分屋』でしょうか。

根っからの悪人ではないのです。

 

母には愛着障害のことを少し打ち明けたことがあり、それでも彼女は父のことを「気の弱い、どこにでもいる普通の気の良いおじさん」と形容します。

 

最初聞いたとき、「そんなわけ、ねーだろ!!(怒)」と思いました。

 

父が善良な人間だとすると、「周囲から孤立した私の学生時代は、20代はなんだったの?私は、私の勘違いで自分の人生を台無しにしていたの?これからどうやって生きていけばいいの?」と絶望に心が苛まれてしまうから。

 

カウンセリングを繰り返す中で、『自分にも悪いところはあったかもしれない』を受け入れるのは本当に怖かったです。

 

小学校高学年の頃、こんなことがありました。

 

父は姉と私に、「ふたりで使いなさい」と100色の色鉛筆セットをプレゼントしてくれました。絵を描くのが好きな姉妹は喜びました。

でも、姉妹の間に亀裂が入ります。ぐみちゃんが色鉛筆を使ったあと片づけないからです。お姉ちゃんはぐみちゃんに何度も「使ったら片づけて」と言いました。けれど、ぐみちゃんは言うことを聞きませんでした。なぜならば、ぐみちゃんのお願い(私を邪険にしないで等)をお姉ちゃんが聞き入れたことはなかったからです。なのでぐみちゃんは思いました。(私のお願いを聞いてくれないお姉ちゃんのお願いなんて聞く必要ない!)

そして激怒したお姉ちゃんは、ぐみちゃんが色鉛筆を使おうとしたところ、「二度とあんたにこの色鉛筆は使わせない!」と宣言します。ぐみちゃんは当然反論しました。「お姉ちゃんひとりのものじゃないんだから勝手に決めないで」

すると事の成り行きを見ていた父が口を出します。「お姉ちゃんが正しい。お前は二度とこの色鉛筆を使うな」と勝ち誇ったような顔でニヤニヤしながら言います。この頃、既に父との折り合いが悪く、父は私をやりこめるチャンス到来だ、と言わんばかりに責め立てます。

 

「私のお願いを聞いてくれないお姉ちゃんのお願いなんて聞きたくない」は言えませんでした。ここで泣きながらぶちまけたとしても、父と姉は喜ぶだけで改善しないだろうと思ったからです。本当の弱みを見せると、その弱みを狙われるだけだと信じていたからです。10歳そこらの子どもがこんな殺伐とした考え方をするなんて、やっぱり普通の家庭ではないと思います。

 

分の悪い戦いに母が参戦し、ぐみちゃんをかばってくれました。しかし、「我こそ正義」を振りかざす父と姉の勢いは交渉どころではなく、そのあとどうなったのか覚えていませんが、色鉛筆を使えなかったことは確かです。子ども心に、この姉妹喧嘩は夫婦喧嘩の代理戦争だと思いました。

 

欲を言えば、父にはこの喧嘩の仲裁をしてもらいたかったです。だって、二度と色鉛筆を使わせないという判決は取り付く島がなさすぎるではありませんか。「一週間使用禁止」などの落としどころを見つけて欲しかった。それなのに、ただ感情的に「お前が悪い」と責め立てる父の嬉しそうな顔には心底ガッカリしました。

 

この件のあと、ぐみちゃんはお小遣いで20色の色鉛筆セットを買い、100色セットに二度と触れようとしませんでした。普通の子なら落ち着いた頃に何でもない顔をしてしれっと100色セットを使うでしょうが、目ざとい父が必ず見つけて「使っちゃダメって言ったのに使ってるぅ~」などと揚げ足を取ってくるだろうと思ったからです。

 

100色セットに目もくれなくなったぐみちゃんを見て、家族は引き攣った笑顔を張り付けて「色鉛筆使っていいから」とひとりずつ言いに来ました。父と姉には「二度と使わせないって言ったでしょ。だからもう使わないよ」と言い、母には「もういいや」と返しました。そんなケチのついたもの、見るのも嫌になっていたからです。

 

家族はぐみちゃんを「我が強い!」と非難し、ひとしきりぐみちゃんの悪口を言い合い、より結束を深めましたとさ。おしまい

 

今思い出しても結構ムカつくし悲しいお話です。

けれど、ぐみちゃんの悪かったところは、『ぐみちゃんに対するお姉ちゃんの言動がどうあれ、使ったものを片づけるという人類共通のルールはいかなる時も守るべきだった』と思います。たとえお姉ちゃんが「あんた邪魔」「あんたなんかいなければいいのに」などと日常的に言っていたとしても、使ったものは片づけれなければなりません。被害に遭っていることは、ルールを守らない免罪符にはなりません。『人を邪険にしない』のもルールですが、他人は変えられません。変えられるのは自分だけです。ここはぐっとこらえて、ルールを守れば良かったけど、(どうして私ばかり我慢しなくちゃいけないの)という思考に囚われちゃったから苦しいね。こういったことは本当は親が教えるものですが、知らないことは教えられないし、仕方ないねと今は思います。

 

こんな家族の中で気高く生きるのは大層難しく、自分本位に生きるようになったのは客観的に見れば自業自得ですが、主観的に見ると『世の中って厳しいな!』と思います。まぁ、「ぐみは家族からイジメに遭って孤立していたから言動がおかしいの。許してね。優しくしてね」でみんな納得するかと言ったらしませんね。私が『みんな』だったら(こいつ、やべー奴だ。関わらんどこ)と距離を置きます。