発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

【しくじり人生④】 大学デビューした結果、上手く行かなくて中退するほど追いつめられた話

一年の浪人生活を経て、東京にある私立大学の文学部に合格し、晴れて大学生となったぐみさん。実家を出て、ひとつ上の姉と23区内で二人暮らしをすることになりました。

 

新しい場所には、ぐみさんのことを知っている人は上京組を除けば誰もいません。

そこで、ぐみさんは「なりたい自分になろう」と心に決めます。

 

具体的には、

綺麗になりたい!

友達をたくさん作りたーい!

彼氏が欲しいーー!

というもので、一言で表すとリア充になりたかったわけです。

大学デビューとも言う。

 

◆ 大学デビューしたけど、立ち回り方が分からない…

髪を染め、雑誌に載っている服を着て、メイクを頑張ったら、黙っていても私の周りに人が集まるようになりました。

望んだ状況のはずなのに、実現すると怖くてたまらなかった。

 

人の輪に入りたい」と願っているにも関わらず、同じくらい「誰とも関わりたくない。放っておいて欲しい」とも考えており、真逆の想いは不可解な言動となって現れます。

 

例えば、私が顔見知り程度のAさんを笑顔で見つめています。「この人と仲良くしたい」と思っているからです。アプローチが功を奏し、Aさんが私に笑顔で話しかけてくれました。しかし、私は「はぁ?話しかけんじゃねーよ」と言わんばかりの冷たい態度を取ります。された方は梯子を外された気分になりますね。大抵の人は私に関わらなくなります。

 

なぜ自覚もなく、こんな不可解な言動を取るのか?

 

思えば、家庭の中で私に注目が集まるのは攻撃される時だけでした。そのため、誰かの目線が注がれるだけで(攻撃される!逃げなくちゃ!!)のスイッチが自動的に入ってしまい、恐怖で耳が塞がり、肩が竦んで身体は硬直します。そしてその場から早く離れることだけを考えます。そんな心理状態では話の内容を正しく理解できず、受け答えがおかしいため場がシーンとなることも頻発し、からかいの対象となるのに時間はかかりませんでした。

 

 ◆ 戸惑いしかないキャンパスライフについて

大学生になって何よりもビックリしたのは、周りの人々が卒業後の進路を踏まえて授業を選んだり、将来をしっかり考えていたことでした。

 

当時の私は、自分の未来を思い描くことが全くできませんでした。自分がフルタイムで働く姿も、結婚して家庭に入る姿も、何もかも想像出来なかった。何かを考えようとすると、頭の中が真っ白になって途轍もない恐怖だけがせり上がってくるのです。胸がすっと冷えるような、踏みしめている地面が音を立てて崩れ落ちていくような、あの恐怖に思いを馳せると今でも動悸が激しくなるほどです。

 

(直視してはいけない)本能が怯えて、考えることを放棄しました。

 

◆ 軽いイジメに遭うように…

そんな私と周囲は、当然のことながら言動が全く違いました。みんなは若い女性らしく眩しいくらい溌剌として学生生活を謳歌する一方、私は病的にマイペースで空気が読めない奴でした。

 

また、前述のとおり考えることを放棄していたので思慮が浅く、行き当たりばったりで生きており、言動が変でした。今思えば、協調性や客観性に欠け、自分の気分や都合を最優先していたからでしょう。特に何を言いたいのか不明瞭で、失笑の的になっていました。

 

実家で私の発言は軽視されたり、突如怒らせてしまうこともザラで、「自分のことを分かってもらえるよう、言葉を尽くして伝えよう」という発想がなかったからだと思います。

 

自分に注目が集まるのは攻撃される時、という行動パターンが身についていたので、話しかけられると早く会話を終わらせることだけを考えて喋っていました。不誠実極まりないですね。そんな人、イジメとまではいかなくても、からかいのターゲットになるのは火を見るより明らかでした。

 

●●だってぇ~、キャハハ!と私の発言の揚げ足取りをして仲間内ではしゃぐ女子や、それに便乗する一部の男子、といった意地悪な人種に初めて会い、どう接すればいいのか分からず曖昧な笑みを浮かべつつやり過ごしていました。

 

人間社会は残酷で、一旦そういう立場になると何をやってもダメで、「あいつには何を言ってもやってもいい」という雰囲気になります。残念ながら、こうなったら対処法はありません。その輪から離れ、次の場所ではもっと上手く立ち回れるように戦術を練るしか処方箋はないように思います。

 

◆ 人と話すのが辛くて大学に行けなくなり、一年休学したのち自主退学へ…

慣れない人付き合いに疲れてしまったこともあり、大学内で一人行動をしていました。

入学当初、友達がたくさん欲しくて手当たり次第に声を掛け、サークルに二つ入っており、顔見知りだけはたくさんいたことが当時の私にとって不幸でした。

 

キャンパスは知人だらけで、少し歩くたびに誰かと遭遇します。決まって向こうは複数、私はいつも一人で「ぐみちゃん友達いないの?」とからかわれることも、面白がるような見下すような目で見られることも苦痛になり、学校に行けなくなってしまいました。

 

追い詰められた私は、(楽になりたい)という一心で自主退学の意思を伝えるべく大学の学生課に赴きます。そこで学費の発生しない休学を勧められ、一年の猶予をもらいました。

 

しかしながら考えは変わることなく、一年後に大学を辞めました。上京して三年目の梅雨のことでした。

 

ところで、親に「人間関係に馴染めなくて辛いから大学を辞めたい」と打ち明けたところ、「金が厳しいから正直助かる」と父は言い、母は黙っていました。とても悲しかったのを覚えています。大学中退が私の人生にどんな影響を及ぼすか、なんて彼らにとってはどうでもいいことなんだと思えたから。

 

けれども、苦しい家計の中から学費を出して上京させてくれたんだから、感謝しなくちゃいけないと今は思っています。

 

振り返ると、小学生の時点で心の成長が止まっていたんだろうなぁ。依存心が強くて自主的な行動は一切なく、周りに自分の身勝手な期待を押し付けていました。とはいっても、大学生の私にアドバイスできることは何もないや…。未熟すぎて話にならない。

 

小学生の私にアドバイスできるとしたら、「習い事で武道を始め、礼儀作法を教えてもらい家庭以外に居場所を作り、小学校を卒業したら、寮のある学校に入って実家から離れることだけを考えて」と言いたい。

まぁ無理ですけどね。外見至上主義でスリムで美しい女性が好きな父は、「体がごつくなる」という理由でスポーツ系の習い事に反対していたから。子どもの頃、父が大学生までやっていた柔道を「私もやりたい」と言ったら上記の理由で却下されたことだけはちょっと恨んでいる。