発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

年末に帰省して父に会うのが憂鬱な件

タイトルのとおりです。

 

父はお盆とお正月だけでなく、ほぼ毎週末、隣県にある自分の実家に帰って一人暮らしの母(私にとっては祖母)と過ごすので、毎年顔を合わせずに済んでいたのですが、今年に限っては帰省を一日後ろにずらし、新幹線の止まる駅まで迎えに来てくださるそうです…。

 

私に会うのが楽しみで仕方ないんだってさ!

 

そう母から聞かされたとき、一番に頭に浮かんだのは

「なんで?」

でした。

 

父にとって私は、ひとりになると何をするか分からない犯罪者予備軍で、体裁的にも金銭的にも迷惑かけられたくないし恥ずかしいから事件に巻き込まれて生命保険をたっぷり残して死んでくれ、もしくは、さっさと結婚して家庭に入り、旦那に監視してもらいつつ、早く孫を用意しろ、のどちらかしか望んでいないと思っているからです。

 

元彼と同棲していた頃は、顔を合わせるたびに「お前たちはいつ結婚するんだ」「早く孫の顔を見せろ」と言い出せば良い方で、不満げな顔で何か言いたそうに私のことをじっと見つめることが多く、非常に嫌でした。父は察してちゃんなのです。

 

私のことを金のなる木か、子どもを産む機械としか認識していないのだろう、と思い込んで恨んでいます。上京して十年以上経ちますが、父とは冠婚葬祭でしか会っていないため思い込みが増長していると分かっているのに憎しみを止められません。

 

そんなわけで、父が私に会いたがる理由は、結婚を視野に入れた恋人がいるかどうか、仕事の内容と雇用形態を詮索することだと疑っています。それは最も避けたい話題です。

 

そんなことを聞かれたら、怒り出さずにいる自信がありません。

 

「30超えて独身なのも、派遣社員のままなのも、全部お前のせいじゃないか!」

と叫んでしまいそうで怖いのです。

 

仮に言ったところで

「人のせいにするな!」と言い返されて険悪な雰囲気になるだけでしょうし、万が一反省されても、失った時は返って来ないのでどっちにしろ不毛です。意味がありません。

 

そんなことよりも、「これからどう生きるか」に焦点を当てる方がどれだけ道が開けることか。

分かっているのに、選べなかった輝かしい人生に思いを馳せて恨みを募らせる自分がいます。

 

もしも、

「お前は恥ずかしい」

「お前は我が強くて俺の手に余る」

「何を言いたいのか分からない」

「大人になってから苦労する」

とあなたが悪意のある笑みを浮かべつつ私を突き離さなかったら。

 

もしも、

あなたが姉と私に分け隔てなく平等に接してくれていれば。

 

もしも、

父母姉と私、三対一の構図にならず、

あなたが私の味方でいてくれたら。

 

もしも、

生命保険は命をお金に換えること、

と毛嫌いして絶対に加入しなかったあなたが、

子どもの私には掛け捨ての死亡保険をかけ、

沼のような目で私を睨み付けなければ。

 

上京してから人間関係でトラブルを起こし、大学を中退したり、職場を転々とすることもなく、子どもを持つことを躊躇しなかっただろうな、と思うからです。

 

彼の持論である「お前以上に苦労をしても成功した人間はいっぱいいる、甘えるな」も間違ってはいませんが、そんな一般論はどうでもいいのです。20代の頃、「どうやら私は他の人と考え方が根本的に違う」ともがき苦しみ、30代に入ってようやくマシになった私の人生は、「大したことじゃない」で片づけられないほど重みがあるからです。

 

思考が人生を作る。

そのとおりだと思います。

 

この世で一番信頼していて大好きな人から愛して欲しい時期に愛をもらえなかった人間が、惜しみなくそれを与えられた人間と同じ思考が出来るわけがないじゃないですか。

 

後天的に身に付けるしかない。

私はそれに十年以上かかりました。

いや、今も道半ばなのでどれくらいかかるか分かりません。

 

周囲は、私のことをプライベートが充実した人だと思っています。

自分で言うのもなんですが、頭も外見も悪くないからです。

だけど、実際の私は非常に孤独で、こうしてウェブで長文の怨恨を世界中に発信しています。

本当のことを言えば変な人だと警戒されそうだからあえて訂正しませんが、そのギャップも苦しいです。

 

しなくていい苦労をし、それにエネルギーを奪われているから、新しいことをする余力がないんだと思います。

 

例えるならば、縁までたっぷり水の入ったコップです。水はエネルギー、コップは心です。私たちはコップの中の水を消費して色々なこと(仕事や趣味、大切な人と過ごすなど)をし、減った水は睡眠や食事を取ることによって半永久的に補充されます。

しかし、そのコップには誰でも無数の穴が空いているため、自然と水は減ります。穴の大きさや数は個人差があります。穴は過去のトラウマや思い込みです。

 

何が言いたいのかと言うと、私のコップに空いた穴は大きく、数が多い。

そこから水がダムの決壊のごとくジャージャーと流れ出てしまい、仕事をするだけでコップが空っぽになってしまう。

 

これは非常にもったいない。

交遊関係を広げたいし、結婚を意識したお付き合いもしたい。でもエネルギー不足だ。

だから、こうしてやるせない気持ちを文章にして昇華させたり、心を穏やかに保つため呼吸法を実践したり、アニメや映画、本、新聞を読み、多様性を学ぶなど、穴を塞ぐ努力をし、少しずつですが成果は出ています。

 

そんな中、穴の原因である父に

「結婚は?子どもは?仕事は?」と無邪気に聞かれたら、

「お前のせいでしなくていい苦労をして、そのリカバーをするため、こちとら必死なんだよ!黙ってろ、ボケェ!」と叫んでしまいそうです。

 

でも、言ったところで理解出来ないでしょう。もし父の共感力が人並みなら、我が子にあんな仕打ちはしないと思うので飲み込むしかありません。

「お付き合いしている人はいないし、やりたいことがあるから派遣社員をしているけど心配しないでね」と言えればいいんですけどね。

 

「うまく行かなかった過去も含めて私の人生だ。これでいいのだ」と父のせいにせず、自分が選び取った結果だと心の底から思えるようになればいいなぁ。

 

しかしながら、まだまだ自分の境遇に納得が行っておらず、ジタバタする日々に終わりは見えません。あー、そのとっかかりはなんだろうな。父に会えば何か見えてくるかもしれないので、今は会うのが楽しみです。