発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

【しくじり人生⑤】 大学中退後は水商売で生計を立て、親にバレた話

久しぶりに気力が湧いてきたので、大学中退後のしくじり人生についてぼちぼち振り返ってみようと思います。

 

◆ 社会人として自立しなくては…

大学を中退したことで、親から一人前とみなされてしまったぐみさん。父の健保扶養から外れ、家賃も自分で払うことになり、お金を稼がないといけません。

しかし、前回のブログでもちらっと触れましたが、ぐみさんは浪人生時代にダメ人間すぎてバイトが長続きせず、飲食系(ケーキ屋⇒クッキー屋⇒焼き鳥屋)を転々とした結果、上京する頃には「私に普通のバイトは無理だ」とすっかり自信をなくしていました

 

そんな私が選んだ仕事は、水商売でした。

 

実は、上京して二ヶ月後には街中で水商売のキャッチのお兄さんに声をかけられ、梅雨頃から学生キャバ嬢として週三出勤しており、大学中退後は週五に増やしました。

 

指名がなくても時給が保障され、高給、日払い可能と良いことずくめでした。

お客さんのお金で美味しいものを食べたり、盛り場へ遊びに行ったり、すっかり大人になった気分でいて、当時の私は虎の威を借る狐というか、すごーく嫌な奴だったなと思います。大学ではバカにされていた反動もあって「私はあなたたちの知らない世界を知っているのよ」と鼻にかけていましたね。うわー痛い女。そんなわけで私は実名でSNSをする気になれません。

 

今はどうか分かりませんが、ITバブルで賑わっていた当時のキャバクラは入店後数ヶ月はお客さんと良好な関係を育てる時期とみなし、指名がなくてもあまり言及されませんでした。

お店の人も「ゆっくりでいいからね」と優しかった。

でも、私はパッと見ふつうだけど中身がヤバい奴(病的なマイペースでKY)だったので、男心を掴むことが出来ずあまり指名を返せませんでした。その上、指名を返す努力(まめに連絡を取ったり、食事という名の同伴に出掛ける)を怠ったので当然結果は出ません。更に最低なことに、ぼうず(指名ゼロの状態)に危機感を覚えず、のほほんと出勤だけしていました。

 

高い時給はお店からしてみれば先行投資です。

嬢は目をかけてもらった見返りとして、指名客に足繁く通ってもらい売上を出す。

いわばギブ&テイクです。

私は享受するばかりで、お店に何も貢献しなかった。

 

そんなわけで、どんどんお店に居づらくなってきます。

そこで私が取った方法は「バックレ」です。何も言わずいきなり辞めることです。当時は「飛ぶ」と呼ばれていました。今もそうかな。

 

あー、もう最低最悪やな。

後ろ足で砂をかけるような、恥知らずなやり口ですね。

 

この際だから全部告白しますが、飛んだのは一度や二度ではありません。

約四年で様々な土地で働き、その間に30店舗は飛びました。

 

関係者の皆様へ。恩をあだで返すような真似をして本当に本当にすみませんでした。けれど、あの頃の自信を失くした私にとって水商売はセーフティネットでした。おかげで食べていくことができました。ありがとうございます。その節は本当にお世話になりました。ダメ人間だったぐみは、更生して今を生きています。

 

◆ このままではいられない…!一念発起しかけるも、大事件が

ダメ人間なりに、バックラー生活を長く続けられるわけがないからなんとかしなくては、と思うようになりました。心を入れ替えて指名を取るよう頑張るぞ、とも考えましたが、お客さんの正の感情も負の感情も受け止めるこの仕事はストレスが多く、メンタルが豆腐な私は耐えられず上手く行かなくて何度も挫折していました。

 

焦りばかり先行して実態を伴わない苦しい時期に、親にキャバ務めがバレたこともありました。せっかくなんで全部聞いてください。

 

なぜバレたのかというと、当時の私は片づけれられない女で汚部屋の住人でした。私の生活を監視したい(サラっと書きましたけど、さすが私の親。とんでもないヤバさです)両親は見かねたフリをして数ヶ月に一度、車に乗って掃除に来ます。その時、ゴミの山にまぎれて空っぽの給与明細(一週間分)を見つけた父はゴミ袋にそれをそっと入れ、「帰りのサービスエリアで捨ててやる」と私の返事も聞かず持ち帰りました。私もすぐに給与明細がないことには気づきました。

 

ここからが地獄です。

 

「たぶんキャバ務めバレたよなー、父はどう出るだろう」と心配で夜も眠れない私の元に翌日の早朝、誰かが訪ねてきます。

のぞき穴から確認すると、それは目を腫らした母でした。

観念した私は、母を家に招き入れました。

隠れていた父も入ってきます。なぜかスーツを着ており、顔がめちゃくちゃ怒っています。手には数枚のA4サイズの紙を握っていました。

 

父は手にした紙を床に座る私に叩きつけました。

「これはお前だろう!」

それはお店のサイトに掲載された私のカラー写真でした。

お店から頼まれて気軽な気持ちで撮影に応じたとはいえ、かなり本格的な仕上がりです。

 

私はそれが自分であることを素直に認めました。

なぜか父はたじろいだ顔をしました。理由は後述します。

 

そして父のトンデモ妄想が展開されます。

内容は箇条書きにします。わが父のヤバさをご堪能ください。

 

★持ち帰ったゴミ袋の中の生●用品を見た。●女(とこのめ)じゃないんだな!?学生だった頃は健保の医療費明細で産婦人科にかかってないかチェックしていたが今は分からん。男に言われてピ●なんて飲んでいないだろうな!?

★ぐみはヤ●ザに人に言えない恥ずかしいところに麻薬を打たれて安月給(一週間分だから少なく見える)で無理矢理●を売らされている。店に行って辞めさせる交渉をするために舐められないようスーツを着てきた

★●病を持っているかもしれないから、今から病院に行って検査させる

★外で男といたしてるんじゃないだろうな?今は技術も進歩してるからどこで撮られているか分からないんだぞ

 

ひどい妄言です。また、真実を白日にさらすためなら何してもいいんですかねぇ…。これは明らかに人権侵害でしょう。

 

母は「ぐみが●を売った金で飯を食った(前日、部屋を片付けてもらったお礼にファミレスで夕飯をご馳走した)」と泣いています。これは地味にこたえましたね…。親にふしだらと決めつけられる娘ってなかなかいないと思います。

 

水商売に対する誤解は解かないといけません。訂正が必要なほど間違っているのですから。

 

すると、父の過去や日常が垣間見えて心がスッと冷えました。ぶっちゃけ軽蔑しました。

父は昔、奥に連れ込み部屋がある飲み屋(そんなお店は私が知っている限りありません。父の「水商売=●を売る」という発想はここから来ていると思われます)の常連で女性従業員を連れ込んだ経験があること、当時一年ほどニートだった父(これもすごいパワーワードだ)は、芸能人の盗●画像などを見て過ごしていたことが分かりました。

 

父の次の言葉に私の心はますます冷えました。

 

「東京に住む従兄が店に来たらどうするんだ。親戚になんて言えばいいんだ」

「お前は絶対に自分だと認めないと思ったから証拠としてカラー写真を用意したのにあっさり認めたのは意外だった」

 

なるほど。

私の現在や未来ではなく、世間体を気にしているのか。

昔から完全勝利のために、逃げ道を塞いで追い込み、不必要なほど痛めつけるという無慈悲なことをしてきたけど今回もそうなのか。

 

…全部自分のためか。

 

怒りを覚えましたが、火に油を注ぐことを恐れて飲み込んでしまったことを今も後悔しています。数年はショックで夢に見るほど傷つきました。起きると必ず泣いていて元彼に心配されました(元彼も私の父は頭おかしいと言っていましたがその通りだと思います)。

 

冷静に誤解を解いた私に向かって父は言葉を重ねます。

「なぜ水商売をやっているんだ」

 

これに答えることは出来ませんでした。

前述したとおり、セーフティネットだったからです。

平日9時5時で働く仕事は自分には出来ないと思い込んでいたからです。

その事実を父が受け止められるとはとうてい思えず、沈黙を選びました。

 

新しい道を求めながらも具体的にどうすればいいか分からず、そのまま水商売を続けていた私に数か月後、転機が訪れます。