発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

心のコップに空いた穴の正体が分かった気がする話

帰省中、元旦に風邪を引き、帰宅してから熱計ったら38.5度あったので慌てて病院に行ったらインフルA型でした。

 

そんなわけで、年が明けてから一度も出社していません。

誰よりも長い正月休みをもらっているけど全く嬉しくない。健康が一番ですね。

死にそうな咳を垂れ流しながらこのブログを書いています。

 

さて、私のことを金のなる木か子どもを産む機械としか見てない父と会うのが億劫だと年末に散々喚きましたが、実際に会って考えすぎだということが分かりました。

 

パッと見て、「あ、この人何も考えてないな」と分かるってヤバくないですか?

 

思考停止状態だった20代の私にそっくりじゃないか…。

長い目で物事を考えられず、目先のことに快か不快かで反応しているだけなんですよね。そんな様子は非常に未熟で幼く、ちっぽけに映ります。

 

私は父に何を期待していたんだろう

と少しだけ目が覚めました

 

目の前にいる初老の男性は、今の私の思想に影響を与えるほど強い力は持っていません。

 

確かに私の子ども時代は、

家庭内での無視や嘲笑などの悪意に満ち満ちていましたが、

そんな中でも明るく優しく、自分と同じくらい他者を大切にして生きる方法もあったなぁと思います。

全てを放り出して自分の殻に閉じこもる道を選択してしまったのは他ならぬ自分なんですよね。

 

ちょっと話は逸れますが、先日「君の名は。」を初めて観ました。

男女の中身が入れ替わるドタバタ恋愛コメディだと思っていたのでSF要素に驚きましたが、とっても面白かったです。インフル休養中にもう一回観ようと思ったくらい気に入っています。

 

さて、作中で最も衝撃を受けたのは、

ド田舎暮らしの三葉ちゃんが都会のオシャレなレストランで初めてのバイトをそれなりにこなしていたことです。

 

現実でもアニメでも、有能な若い人を見ると心がくじけます。

形容しがたいモヤモヤが胸いっぱいに広がります。

それは、「自分次第では私もこうなれたかも知れないのに、今の私はとても情けない。今まで何をやって来たんだろう」という焦りや苛立ち、憧れ、虚無感、後悔といった様々な感情を含み、向き合うだけで精神が摩耗します。

 

私の初めてのバイト先は、

テイクアウト専門のケーキ屋さんで、全然使いものにならず皆さんに嫌われてしまい、一ヶ月で逃げるようにして辞めました。

周りを見て動くなんてことは全く出来ず、「次は何をすればいいですか」と聞きまくって「ちょっとは自分で考えなさいよ」と言われ、適当な自己流でやったら目も当てられないほどの失敗をし、「親の顔が見てみたい」とまで言われました。

 

自分の何が悪いのか全く分からないし、何よりその原因を深く考えるのが怖かった。

失敗を心の傷と定義し速やかに忘れて反省しなかったので同じミスを繰り返していたから、まぁ自業自得ですね。

 

モヤモヤの正体は、子ども時代に自分の道を探すことなく諦めてしまった後悔なんだな、と遅まきながら気付きました。

小さいうちからトライ&エラーを繰り返していれば、人生という荒波を乗りこなして充実した人生を手に入れることが出来たかもしれないという後悔です。自分が傷付くのを恐れて何もしなかった結果、痛みがない代わりに成長もないという後悔です。

 

失ってからの時間が長すぎて、喪失の重さに耐えられず「今、こんなしょっぱい人生を送っているのはあいつのせいだ」と全てを父のせいにしていたんです。

でも、自分の人生に責任が取れるのは自分だけなんですよね。

 

全ては自己責任だということ、自分の可能性をまだ信じていることは分かりました。

それに、人は簡単に誰かを無視したり笑い者にしたりしません。

私が思うより世界は優しいことも分かってきました。

 

けれど、落としどころは見つかりません。

まだまだ憂鬱は続く…。