発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

【しくじり人生①】 小学生の頃から、嫌われ者という悲しい役割を始めました

インナーチャイルド愛着障害)の治療のひとつに、子どもの頃のイメージ画を描くというものがあります。

 

私が描いた絵を文章で説明すると、『一階建ての一軒家を縦に二等分し、左の部屋は明るく、父母姉が三人で楽しく談笑しており、右の部屋は暗く、ベッドに入った子どもの私がべそをかきながら眠っている』という悲しい絵です。

 

私の実家は、田舎のくせに一階建ての3DKでとても狭い(びっくりすることに借家なのだ)作りです。もちろん、自分の部屋などありません。今でも、一室を家族皆で眠る寝室にしています(すごく変ですね。自分の部屋もしくは兄弟と共有の部屋すら持っていないのは同級生の中でも私だけでしたし)。

 

◆ 子どもの頃の悲しい記憶

子どもの頃、なぜか私だけ早く寝なさいと言われていました。年子の姉には何も言いません。しかし、根が素直な私は疑うこともなく寝室に向かい、二段ベッドの下で横になります。

 

すると、隣の部屋から家族の楽しそうな会話が聞こえてきます。私がいる時は、みんな無表情で黙っているのが嘘のようです。まるで、三人でいる時だけが本当の家族で、本来の彼らであるような、伸び伸びとした賑やかさでした。

 

当初は『みんな楽しそうにしていてズルい!私も混ぜて!!』と居間に戻って団らんに加わりに行きましたが、楽しい雰囲気は私の登場と共に煙のように消え失せます。そして家族は怒り出すのです。

 

早く寝なさい!

 

不思議で仕方ありませんでした。『ひとつ上のお姉ちゃんはまだ起きていていいのに、どうして私はダメなの?』

 

この問いは発したのか、口を噤んだのかは覚えていません。

 

しぶしぶ寝室に戻るわけですが、和気あいあいとした家族の団らんを聞きながら眠りにつくのはとても辛かったです。

 

しかも、残酷なことに、時折、私の悪口も聞こえてきます。

 

あいつはどうしてあんなに我が強くて手に負えないのか

お前に似たんだ

いいや、お前だ

 

悲しくて悲しくて、枕を涙で濡らすうちに眠りにつくのが日課になっていました。

 

◆ 耐えられなくて、自分に嘘をつくように

この出来事以外にも私を除け者にしようとする流れが頻発します。

 

ニコイチの母と姉に無視され、笑い者にされ、父に助けを求めましたが、彼は見て見ぬフリをするだけでなく、多数派に加勢したので家庭内は地獄のようでした。

 

家族からのいわれのない誹謗中傷に戸惑いながらも、『家族にとって、私の存在自体がストレスなのだ』と悟ったぐみちゃんは、傷つけられるのを嫌って家族との交流を極力避けるようになりました。それでも、残酷な彼らは距離を取る私の目の前までわざわざやってきて攻撃します。そんな時は、棘のある態度を取ったし、余計な火の粉が降りかからないよう、気配を消して自分の世界に閉じこもることが増えました。

 

自分を守ろうと必死な姿が親には反抗的で不可解なものに映り、可愛げのない育てにくい子として排除の対象になったんだろうなと分析しています。悪循環ですね。

 

ところで、当時の私は、彼らが『我が強くて手に負えない』と決めつけるほど問題児ではありませんでした。学校で反抗的だったわけでも暴力的だったわけでもありません。非行に走ったこともなく、小学校では皆と仲良くしていました。だからこそ、家と家の外での自分の扱われ方の差に混乱したんだと思います。

 

親から愛されず、とても悲しくて寂しかったです。家族が私を邪魔に思っているんだから、私が私である限りはどうすることも出来ません。

 

さすがに『自分はいらない存在』という(当時の私にとっての)事実を認めるわけにはいきません。何か他に理由が欲しい。そうだ、『私は人に嫌われるから、家族も私のことを嫌いなんだ』ということにしよう。

そう決めたら、すごく楽になったのを覚えています。

 

それからは『嫌われ者』を真実にするため、せっせと嫌われる言動を取り、瞬く間に学年でも有名な嫌われ者になりました(おかげで今でも実名でSNSをやる気になれません)。

 

また、この思い込みをいっそう強固なものにするため、たくさんの嘘を自分に言い聞かせました。そのうち自分で選び取ったことも忘れ、『私はどうして人に嫌われるんだろう?』と悩むようになります。

 

ぐみちゃん、すっごい可哀想(笑)。