信頼する、されるって何だろう
私は友達がほとんどいません。
その数少ない友達にも一年に一度会うか会わないかです。
昔付き合った人は私のことを「異様に孤独に強い」と言いました。
自分でもそう思います。
とは言っても、「寂しいと思わないことが寂しい」と悲しくなります。
これまでは、そういう性格なんだと割り切っていましたが、明らかに後天的に身に付けた性質なんですよね。
家族に虐げられていた子ども時代は、自分の殻に閉じこもらないと生きて行けなかったから。
◆ 人間不信を何とかしたい
最近は、『孤独を選ぶこと』を手放さないといけないなぁと思うようになりました。
仕事をする上で、結構困る。
大人になったら、『ただそこにいるだけ』の人は嫌がられます。一人で出来ることなんてたかが知れていて、周囲と連携を取らないといけない場面に山ほど出くわします。
たくさん失敗して、表面上はうまく出来るようになったけど、なぜか居心地の悪さを感じます。それは、『私』という人間がイマイチ信頼されていないからだと思うのです。
というか、私が人を信頼していない。
インナーチャイルドがなかなか改善しない時は、『自分は変わりたくないけど、相手には変わって欲しい』という考えを持っているそうです。
…それって私じゃん。
『私は誰のことも信頼しないけど、皆は私のことを信頼して』とか言ってる奴、誰が信頼するんだろう。
というか、そもそも『信頼』の定義って何だろう?と悩んでいたら、とある自己啓発本の一文にはっとさせられました。
『相手を理解し、尊重し、助けなさい』という一言です。
『信頼する』ということの本質だと思い、目からウロコが落ちましたが、自分の中の『尊重』の定義があやふやです。
ふと、別の本の内容が頭に浮かびました。
『私があなたを尊重するとは、あなたがあなたであることを受け入れ、あなたが自分で決めて行動することを受け入れ、他の誰とも違うあなたのユニークさを受け入れるということです』
…悲しいことに、文章の意味は分かりますが、いまいちピンと来ません。信頼や尊重とは無縁の子ども時代を過ごし、今でも家族は私のことを『何をするか分からない』狂犬のような娘だと思っているので仕方のないことだと思います。ひどいよね(笑)
今後は、『人を信頼する』ことが出来ないと、先に進めない気がするのです。
怖いけど、ここまで分かっているなら実践あるのみ、ですね。
そもそも、私は『どうせ皆私のこと笑い者にして無視するんでしょ』と決めつけている節があります。冷静に考えるとおかしいし、何より皆さんに失礼です。よっぽどのことがない限り、普通の人はそんなことしない、ということも分かるようになりました。
…無視や嘲笑が日常茶飯事だった私の家族ってやっぱ変だわ。