発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

『親に愛されたい』という気持ちを持て余している話

今日、職場で和気あいあいと雑談をしていた時の話です。

 

「私は赤ちゃんの頃から眉毛の形が変だった、ってお姉ちゃんに言われる」とマイボスが話すのを聞いて、内心悲しくなりました。

 

なぜって、私の家族は、私が赤ちゃんだった頃のことを覚えていないから。

そもそも彼らのする昔話に私は全く出て来ません。

 

◆ 家族の中で、存在が消されている私

一方、姉を溺愛している父は、今でも姉が赤ちゃんだった頃の話をよくします。

それは身体が弱くて心配したけど健やかに育ってくれて良かった、という内容でいつも変わりません。

その話を聞いたお姉ちゃんはくすぐったそうな、嬉しそうな顔をします。

 

子どもの頃、(いいなぁ)と思い、父に「私が赤ちゃんの頃はどうだった?」と聞いたことがありました。

父はみっともないくらいキョドって、質問自体をなかったことにされました。

深く傷ついて二度とそういった類の質問をしなくなり、家族間で思い出話に花が咲き始めると席を外すか自分の世界に籠もるようになりました。

 

そんな私にも若かった頃、結婚を意識した人がいました。

初めての顔合わせの時も、私の家族は変わりませんでした。

「ぐみはこういう子だった」や「昔こんなことがあって…」という話は一切ありません。

(さすがに何か話してくれるだろう)と期待していたので酷く傷ついたのを覚えています。

また、「こんなので良ければもらってやってください」といった、私を安売りする言動にも傷つきました。

 

顔合わせが終わったあと、「ぐみちゃんのご両親は変だね」と彼は遠慮がちに言いました。

そしてこう続けました。

ぐみちゃんに似てるね

 

当時の私は「何を失礼な!」と内心憤りました。けれど今なら彼の困惑した気持ちが良く分かります。家族や昔の私は、マイペースで人をイライラさせる独特な間を持っています。いついかなる時も自分の都合が優先だから、他人なんかどうでもいいという価値観の元に行動しているためです。

 

◆ 家族以外の人たちと接するときに戸惑うこと

現在の私は黙っていれば普通の人なので、「ぐみさんってこうだよね」「ぐみさんってこれ好きだよね」といった、私が話題の中心となる機会が稀にあります

そんな時、どう反応したらいいのか分からず、曖昧な笑みを浮かべて(早く終わんねーかな)と居心地の悪さを感じていました。しかし最近になってこの反応は失礼極まりないことに気が付きました。次に遭遇した時にはもっと真摯に受け止めようと思っています。

 

うちの親が私の話をするときは、決まって悪口を言う時です。

 

「何であいつはああも我が強くて手に負えないんだ」

お前に似たんだよ」

いいやお前だ」

お前だよ

いいや(以下エンドレスで責任のなすりつけ合いにつき省略)

 

ぐみちゃんにはいいところがいっぱいあるのに、彼らはそれを知ろうともせず否定ばかりします。ぐみちゃんを「お前は恥ずかしい」「お前は俺の手に余る」と突き放し、笑い者にします。

 

大人になった今、周囲の人は私のことを「真面目」「優しい」「面白い」など形容してくれますが、うちの親がそれを聞いても誰の事を言っているのか本気で分からないでしょう。悲しいことですね。

 

親に愛して欲しかった。私のことを、嬉しそうに誇らしそうに話して欲しかった。でもそれは叶わないことは分かっています。

 

いつかこの気持ちをぶつける時がくるのでしょうか。

受け止めてもらえるイメージは全く湧きません。