大嫌いで大好きなお父さんの話
私は、母よりも父の方が嫌いでした。
今は可哀想な人だと思います。恨む気持ちはこの一年でほぼなくなりました。
◆ おとんの奇人エピソード
どこが嫌いかって、どんな時も自分の都合を最優先するところと、『大切にされたい』という気持ちが強すぎるところです。そしてちょっと頭がおかしい。
例えば、私が実家を出た後の話で、唐突に仕事を辞め(彼もかつての私と同様、仕事が続かないタイプです。人に嫌われて辞めざるをえない点も共通しています)、母と姉に向かって「今まで養ってやったんだから、今度はお前たちが俺を養え」と高らかに宣言し、一年も引きこもりの無職でした(実際はデイトレに手を出して失敗したそうです。人と働くのが嫌という考えも若い頃の私と類似しています。血は争えないねぇ…ヤレヤレ)。
バラエティ番組『アメトーーク!』の『家族おかしい芸人』特集を、(うちの親の奇行は笑いに昇華出来ない)と複雑な気持ちで見ていたことを思い出します。
子どもの私に、月千円以下の掛け捨ての死亡保険を掛けるし(たまたま生保会社で働いていた時、出来心で自分の氏名と生年月日で検索をかけたから知ったことです。
自分は生命保険が嫌いで全く加入せず、「俺の命を金に換えてお前たちが幸せに暮らすのが許せない、俺が死んだら路頭に迷え」とビックリ発言をかましていたくせに、裏では子どもの私の命を『あわよくば』お金に換えようとしていたなんて鬼の所業ですよね)、
母に人格攻撃をされている時、姉は助けるのに私のことは無視して見捨てるし、言ってはいけないことを平気で言います(「子どもは親を選べない」と小学生の時に言ったら、間髪入れずに物凄く良い笑顔で「親は子どもを選べない」とのたまりました)。
要するに人の親とは思えないほど子どもっぽいのです。なんせ、小学生の娘と張り合おうとするくらいですし。父以外に見たことも聞いたこともありません、こんな変な人。
◆ 父も傷ついていた
また、「俺を大切にしろ、尊敬しろ」が口癖でした。
(それなら、大切にしたい、尊敬したいと思われる人間になれよ。そもそも家族を大切にしない人間が大切にされるはずがないだろ)と白けた気持ちで聞いていました。
でも、大人になって考えるのは、彼も追い詰められていたのではないかということです。
中学生の頃、友人との会話の中で「うわっ、それ傷ついた」という返しを聞き、目からウロコが落ちたぐみさんは、(自分の気持ちをそうやって表現してもいいんだ)と早速父に言ってみたことがありました。すると…。
「俺だってお前に傷つけられている!仕事が終わって、帰宅するために車を運転している時、対向車線にハンドルを切れば楽になる、と何度思ったか分からない!!居場所がない!!!」と叫ばれました。
当時はまさかこれほど重い返しをされるとは思わず、面食らった結果、聞かなかったことにしましたが、今思えば相当ヤバい発言です(よくこんなこと中学生の娘に言おうと思ったなぁ…。うちの親は、自分の都合で子どもの私を大人と同じように扱うことがありました)。
当時は、部活に精を出して家にあまりいない姉の後釜として、母の新しい相棒となった私は、母と連携して人格攻撃の矛先を父に向け、嬉々として言葉の暴力を振るっていました。大人でも無視や嘲笑って辛いですもんね。先に陰湿な攻撃をしてきたのは父だけど、だからといってやり返していいわけではありません。酷いことをしたなぁと思っています。
父は私を、憎しみが篭もった濁った目で凝視することが多かったと記憶しています。私の言葉のナイフは、子どものくせに相当鋭かったのかもしれません。
憎まれ口(という範囲を超えていたようですが)ばかり叩くようになったのは、寂しかったからなんですけどね。父は容姿端麗な姉を溺愛していました。私をけなして姉を褒めるのが基本スタイルで、とても嫌だったし悲しかった。ただ、姉と同じように接して欲しかった。私を好きになって欲しかった。
「私はお父さんが好きだけど、お父さんは私のことが嫌いみたい」
という悲しみが怒りに変わって、子どもらしからぬ攻撃性を持つようになったんだと思います。
父は父で、私を見ると「傷つけられる!」と身構えちゃって話になりません。
互いに傷つけあう無限ループへ突入し、私はインナーチャイルド(愛着障害)をこじらせました。
振り返って考えるとただの愛憎劇ですね。仲の良い父子でいたかったなぁ。自慢の娘だと思って欲しかった。父だって、自分のためじゃなく家族のために生きたいと願った時期もあったかもしれないと今は思います。
今からでも歩み寄ることは可能なはず。
父の日の贈り物は何にしようかな。