発達障害だと思っていたら、愛着障害だった私の話

しくじり人生の中で気付いたことを共有するブログ

思い込みで自分の人生を台無しにしてしまったことについて

小学生の私にとって、『自分はいらない子』と認めるよりも『自分は嫌われ者』と思い込む方が楽だった、という話を前回しました。

その思い込みをより強固なものにするために様々な暗示を自分にかけ、暗示をかけたことも忘れて、なぜ自分は皆と違うのか悩みながら無気力に暗黒の20代を過ごしました。

 

◆ ちょっと気持ちが落ち着いた今、思うこと

藁にもすがる思いでカウンセリングに通って一年が経ち、こうしてブログを始められるくらい自分を客観視できるようになりましたが、この心境に至るまで本当に辛かったな。

 

たくさん失敗して、ここ数年は人並みに仕事が出来るようになったけど、それでも人間関係でつまづくたびに『あんな親の元に生まれたら、まともな人間に育つわけがない』『あんな親の元に生まれたくなかった』『あんな奴ら、冠婚葬祭以外は会わなくていい』とうまく行かない理由を全て親のせいにして恨んでいました。感情が高ぶって電車の中で涙ぐむこともしょっちゅうあり、完全にヤバイ人ですね(笑)。

 

思い込み抜きで当時のことを振り返ると、家族から冷遇された理由が『年子に生まれた女の子だから』とは限らないと思うようになりました。

なぜならば、ぐみちゃんは可愛げのない子どもだったからです。

 

父に『お前は我が強い』『お前は俺の手に余る』とよく言われていたなぁ。

生まれ持った気質が両親と合わなかったのか、『何をやっても嫌われるなら、自分の思う通りにしよう』と決めたことで自分本位に振る舞うぐみちゃんが手に負えなくなったのか…つまり鶏が先か卵が先か(どっちが先か分からない)という話

 

『親は無条件に子どもを愛するものだ』とよく聞きますが、親だって人間なので限界があると思うんですよね。私は気付かずに、そのボーダーラインを超えてしまい、『可愛い娘』ではなく『自分たちの存在を脅かす敵』という認識になってしまったのかもしれません。親しき仲にも礼儀ありってことです。

 

うちの親は悪い人ではないですが、良い人でもない。きっとそれは私も同じで、平凡な家族がボタンの掛け違いですれ違っただけ、という気がするのです。

 

まぁ、そう思えるようになるまで、のたうち回るくらい苦しみましたけどね。少し前まで、『実家を出てから色んな人に会ったけど、うちの親よりも陰険で頭の悪い奴らは見たことがない。私に攻撃的な人でも、みんな自分の身内(仲間や家族)には優しかった』と本気で思っていました。

 

◆ 過去の怒りを手放すには

思い込みにより、大人になってからの十数年を損なってきたことを受け入れられません。

 

どんな人生を歩みたかったのかといえば、大学を四年で卒業して、どこかの大企業に総合職として新卒採用され、20代半ばで結婚して30歳になるまでには二児の母となり、仕事と家庭を両立するいい妻・いい母になりたかったよ。今となっては叶わない夢で、30歳を超えた今、何も持ってないのが現実です。現在が気に入らなくて過去を恨み、親を憎んでいるわけです。

 

怒りが薄れる秘訣は、思い込みを思い込みと気付き、『それって本当に正しいの?』と疑うことから始まります。そしてこだわりを手放すことです。

 

これまでのしくじりを形に残したい、という気持ちが強くなってきたのでトンネルの出口はすぐそこにあるのかも知れません。忘れる前に記録しておかないと。忘却は私の得意技なので(笑)