【しくじり人生⑤】 大学中退後は水商売で生計を立て、親にバレた話
久しぶりに気力が湧いてきたので、大学中退後のしくじり人生についてぼちぼち振り返ってみようと思います。
◆ 社会人として自立しなくては…
大学を中退したことで、親から一人前とみなされてしまったぐみさん。父の健保扶養から外れ、家賃も自分で払うことになり、お金を稼がないといけません。
しかし、前回のブログでもちらっと触れましたが、ぐみさんは浪人生時代にダメ人間すぎてバイトが長続きせず、飲食系(ケーキ屋⇒クッキー屋⇒焼き鳥屋)を転々とした結果、上京する頃には「私に普通のバイトは無理だ」とすっかり自信をなくしていました。
そんな私が選んだ仕事は、水商売でした。
実は、上京して二ヶ月後には街中で水商売のキャッチのお兄さんに声をかけられ、梅雨頃から学生キャバ嬢として週三出勤しており、大学中退後は週五に増やしました。
指名がなくても時給が保障され、高給、日払い可能と良いことずくめでした。
お客さんのお金で美味しいものを食べたり、盛り場へ遊びに行ったり、すっかり大人になった気分でいて、当時の私は虎の威を借る狐というか、すごーく嫌な奴だったなと思います。大学ではバカにされていた反動もあって「私はあなたたちの知らない世界を知っているのよ」と鼻にかけていましたね。うわー痛い女。そんなわけで私は実名でSNSをする気になれません。
今はどうか分かりませんが、ITバブルで賑わっていた当時のキャバクラは入店後数ヶ月はお客さんと良好な関係を育てる時期とみなし、指名がなくてもあまり言及されませんでした。
お店の人も「ゆっくりでいいからね」と優しかった。
でも、私はパッと見ふつうだけど中身がヤバい奴(病的なマイペースでKY)だったので、男心を掴むことが出来ずあまり指名を返せませんでした。その上、指名を返す努力(まめに連絡を取ったり、食事という名の同伴に出掛ける)を怠ったので当然結果は出ません。更に最低なことに、ぼうず(指名ゼロの状態)に危機感を覚えず、のほほんと出勤だけしていました。
高い時給はお店からしてみれば先行投資です。
嬢は目をかけてもらった見返りとして、指名客に足繁く通ってもらい売上を出す。
いわばギブ&テイクです。
私は享受するばかりで、お店に何も貢献しなかった。
そんなわけで、どんどんお店に居づらくなってきます。
そこで私が取った方法は「バックレ」です。何も言わずいきなり辞めることです。当時は「飛ぶ」と呼ばれていました。今もそうかな。
あー、もう最低最悪やな。
後ろ足で砂をかけるような、恥知らずなやり口ですね。
この際だから全部告白しますが、飛んだのは一度や二度ではありません。
約四年で様々な土地で働き、その間に30店舗は飛びました。
関係者の皆様へ。恩をあだで返すような真似をして本当に本当にすみませんでした。けれど、あの頃の自信を失くした私にとって水商売はセーフティネットでした。おかげで食べていくことができました。ありがとうございます。その節は本当にお世話になりました。ダメ人間だったぐみは、更生して今を生きています。
◆ このままではいられない…!一念発起しかけるも、大事件が
ダメ人間なりに、バックラー生活を長く続けられるわけがないからなんとかしなくては、と思うようになりました。心を入れ替えて指名を取るよう頑張るぞ、とも考えましたが、お客さんの正の感情も負の感情も受け止めるこの仕事はストレスが多く、メンタルが豆腐な私は耐えられず上手く行かなくて何度も挫折していました。
焦りばかり先行して実態を伴わない苦しい時期に、親にキャバ務めがバレたこともありました。せっかくなんで全部聞いてください。
なぜバレたのかというと、当時の私は片づけれられない女で汚部屋の住人でした。私の生活を監視したい(サラっと書きましたけど、さすが私の親。とんでもないヤバさです)両親は見かねたフリをして数ヶ月に一度、車に乗って掃除に来ます。その時、ゴミの山にまぎれて空っぽの給与明細(一週間分)を見つけた父はゴミ袋にそれをそっと入れ、「帰りのサービスエリアで捨ててやる」と私の返事も聞かず持ち帰りました。私もすぐに給与明細がないことには気づきました。
ここからが地獄です。
「たぶんキャバ務めバレたよなー、父はどう出るだろう」と心配で夜も眠れない私の元に翌日の早朝、誰かが訪ねてきます。
のぞき穴から確認すると、それは目を腫らした母でした。
観念した私は、母を家に招き入れました。
隠れていた父も入ってきます。なぜかスーツを着ており、顔がめちゃくちゃ怒っています。手には数枚のA4サイズの紙を握っていました。
父は手にした紙を床に座る私に叩きつけました。
「これはお前だろう!」
それはお店のサイトに掲載された私のカラー写真でした。
お店から頼まれて気軽な気持ちで撮影に応じたとはいえ、かなり本格的な仕上がりです。
私はそれが自分であることを素直に認めました。
なぜか父はたじろいだ顔をしました。理由は後述します。
そして父のトンデモ妄想が展開されます。
内容は箇条書きにします。わが父のヤバさをご堪能ください。
★持ち帰ったゴミ袋の中の生●用品を見た。●女(とこのめ)じゃないんだな!?学生だった頃は健保の医療費明細で産婦人科にかかってないかチェックしていたが今は分からん。男に言われてピ●なんて飲んでいないだろうな!?
★ぐみはヤ●ザに人に言えない恥ずかしいところに麻薬を打たれて安月給(一週間分だから少なく見える)で無理矢理●を売らされている。店に行って辞めさせる交渉をするために舐められないようスーツを着てきた
★●病を持っているかもしれないから、今から病院に行って検査させる
★外で男といたしてるんじゃないだろうな?今は技術も進歩してるからどこで撮られているか分からないんだぞ
ひどい妄言です。また、真実を白日にさらすためなら何してもいいんですかねぇ…。これは明らかに人権侵害でしょう。
母は「ぐみが●を売った金で飯を食った(前日、部屋を片付けてもらったお礼にファミレスで夕飯をご馳走した)」と泣いています。これは地味にこたえましたね…。親にふしだらと決めつけられる娘ってなかなかいないと思います。
水商売に対する誤解は解かないといけません。訂正が必要なほど間違っているのですから。
すると、父の過去や日常が垣間見えて心がスッと冷えました。ぶっちゃけ軽蔑しました。
父は昔、奥に連れ込み部屋がある飲み屋(そんなお店は私が知っている限りありません。父の「水商売=●を売る」という発想はここから来ていると思われます)の常連で女性従業員を連れ込んだ経験があること、当時一年ほどニートだった父(これもすごいパワーワードだ)は、芸能人の盗●画像などを見て過ごしていたことが分かりました。
父の次の言葉に私の心はますます冷えました。
「東京に住む従兄が店に来たらどうするんだ。親戚になんて言えばいいんだ」
「お前は絶対に自分だと認めないと思ったから証拠としてカラー写真を用意したのにあっさり認めたのは意外だった」
なるほど。
私の現在や未来ではなく、世間体を気にしているのか。
昔から完全勝利のために、逃げ道を塞いで追い込み、不必要なほど痛めつけるという無慈悲なことをしてきたけど今回もそうなのか。
…全部自分のためか。
怒りを覚えましたが、火に油を注ぐことを恐れて飲み込んでしまったことを今も後悔しています。数年はショックで夢に見るほど傷つきました。起きると必ず泣いていて元彼に心配されました(元彼も私の父は頭おかしいと言っていましたがその通りだと思います)。
冷静に誤解を解いた私に向かって父は言葉を重ねます。
「なぜ水商売をやっているんだ」
これに答えることは出来ませんでした。
前述したとおり、セーフティネットだったからです。
平日9時5時で働く仕事は自分には出来ないと思い込んでいたからです。
その事実を父が受け止められるとはとうてい思えず、沈黙を選びました。
新しい道を求めながらも具体的にどうすればいいか分からず、そのまま水商売を続けていた私に数か月後、転機が訪れます。
心のコップに空いた穴の正体が分かった気がする話
帰省中、元旦に風邪を引き、帰宅してから熱計ったら38.5度あったので慌てて病院に行ったらインフルA型でした。
そんなわけで、年が明けてから一度も出社していません。
誰よりも長い正月休みをもらっているけど全く嬉しくない。健康が一番ですね。
死にそうな咳を垂れ流しながらこのブログを書いています。
さて、私のことを金のなる木か子どもを産む機械としか見てない父と会うのが億劫だと年末に散々喚きましたが、実際に会って考えすぎだということが分かりました。
パッと見て、「あ、この人何も考えてないな」と分かるってヤバくないですか?
思考停止状態だった20代の私にそっくりじゃないか…。
長い目で物事を考えられず、目先のことに快か不快かで反応しているだけなんですよね。そんな様子は非常に未熟で幼く、ちっぽけに映ります。
「私は父に何を期待していたんだろう」
と少しだけ目が覚めました。
目の前にいる初老の男性は、今の私の思想に影響を与えるほど強い力は持っていません。
確かに私の子ども時代は、
家庭内での無視や嘲笑などの悪意に満ち満ちていましたが、
そんな中でも明るく優しく、自分と同じくらい他者を大切にして生きる方法もあったなぁと思います。
全てを放り出して自分の殻に閉じこもる道を選択してしまったのは他ならぬ自分なんですよね。
ちょっと話は逸れますが、先日「君の名は。」を初めて観ました。
男女の中身が入れ替わるドタバタ恋愛コメディだと思っていたのでSF要素に驚きましたが、とっても面白かったです。インフル休養中にもう一回観ようと思ったくらい気に入っています。
さて、作中で最も衝撃を受けたのは、
ド田舎暮らしの三葉ちゃんが都会のオシャレなレストランで初めてのバイトをそれなりにこなしていたことです。
現実でもアニメでも、有能な若い人を見ると心がくじけます。
形容しがたいモヤモヤが胸いっぱいに広がります。
それは、「自分次第では私もこうなれたかも知れないのに、今の私はとても情けない。今まで何をやって来たんだろう」という焦りや苛立ち、憧れ、虚無感、後悔といった様々な感情を含み、向き合うだけで精神が摩耗します。
私の初めてのバイト先は、
テイクアウト専門のケーキ屋さんで、全然使いものにならず皆さんに嫌われてしまい、一ヶ月で逃げるようにして辞めました。
周りを見て動くなんてことは全く出来ず、「次は何をすればいいですか」と聞きまくって「ちょっとは自分で考えなさいよ」と言われ、適当な自己流でやったら目も当てられないほどの失敗をし、「親の顔が見てみたい」とまで言われました。
自分の何が悪いのか全く分からないし、何よりその原因を深く考えるのが怖かった。
失敗を心の傷と定義し速やかに忘れて反省しなかったので同じミスを繰り返していたから、まぁ自業自得ですね。
モヤモヤの正体は、子ども時代に自分の道を探すことなく諦めてしまった後悔なんだな、と遅まきながら気付きました。
小さいうちからトライ&エラーを繰り返していれば、人生という荒波を乗りこなして充実した人生を手に入れることが出来たかもしれないという後悔です。自分が傷付くのを恐れて何もしなかった結果、痛みがない代わりに成長もないという後悔です。
失ってからの時間が長すぎて、喪失の重さに耐えられず「今、こんなしょっぱい人生を送っているのはあいつのせいだ」と全てを父のせいにしていたんです。
でも、自分の人生に責任が取れるのは自分だけなんですよね。
全ては自己責任だということ、自分の可能性をまだ信じていることは分かりました。
それに、人は簡単に誰かを無視したり笑い者にしたりしません。
私が思うより世界は優しいことも分かってきました。
けれど、落としどころは見つかりません。
まだまだ憂鬱は続く…。
年末に帰省して父に会うのが憂鬱な件
タイトルのとおりです。
父はお盆とお正月だけでなく、ほぼ毎週末、隣県にある自分の実家に帰って一人暮らしの母(私にとっては祖母)と過ごすので、毎年顔を合わせずに済んでいたのですが、今年に限っては帰省を一日後ろにずらし、新幹線の止まる駅まで迎えに来てくださるそうです…。
私に会うのが楽しみで仕方ないんだってさ!
そう母から聞かされたとき、一番に頭に浮かんだのは
「なんで?」
でした。
父にとって私は、ひとりになると何をするか分からない犯罪者予備軍で、体裁的にも金銭的にも迷惑かけられたくないし恥ずかしいから事件に巻き込まれて生命保険をたっぷり残して死んでくれ、もしくは、さっさと結婚して家庭に入り、旦那に監視してもらいつつ、早く孫を用意しろ、のどちらかしか望んでいないと思っているからです。
元彼と同棲していた頃は、顔を合わせるたびに「お前たちはいつ結婚するんだ」「早く孫の顔を見せろ」と言い出せば良い方で、不満げな顔で何か言いたそうに私のことをじっと見つめることが多く、非常に嫌でした。父は察してちゃんなのです。
私のことを金のなる木か、子どもを産む機械としか認識していないのだろう、と思い込んで恨んでいます。上京して十年以上経ちますが、父とは冠婚葬祭でしか会っていないため思い込みが増長していると分かっているのに憎しみを止められません。
そんなわけで、父が私に会いたがる理由は、結婚を視野に入れた恋人がいるかどうか、仕事の内容と雇用形態を詮索することだと疑っています。それは最も避けたい話題です。
そんなことを聞かれたら、怒り出さずにいる自信がありません。
「30超えて独身なのも、派遣社員のままなのも、全部お前のせいじゃないか!」
と叫んでしまいそうで怖いのです。
仮に言ったところで
「人のせいにするな!」と言い返されて険悪な雰囲気になるだけでしょうし、万が一反省されても、失った時は返って来ないのでどっちにしろ不毛です。意味がありません。
そんなことよりも、「これからどう生きるか」に焦点を当てる方がどれだけ道が開けることか。
分かっているのに、選べなかった輝かしい人生に思いを馳せて恨みを募らせる自分がいます。
もしも、
「お前は恥ずかしい」
「お前は我が強くて俺の手に余る」
「何を言いたいのか分からない」
「大人になってから苦労する」
とあなたが悪意のある笑みを浮かべつつ私を突き離さなかったら。
もしも、
あなたが姉と私に分け隔てなく平等に接してくれていれば。
もしも、
父母姉と私、三対一の構図にならず、
あなたが私の味方でいてくれたら。
もしも、
生命保険は命をお金に換えること、
と毛嫌いして絶対に加入しなかったあなたが、
子どもの私には掛け捨ての死亡保険をかけ、
沼のような目で私を睨み付けなければ。
上京してから人間関係でトラブルを起こし、大学を中退したり、職場を転々とすることもなく、子どもを持つことを躊躇しなかっただろうな、と思うからです。
彼の持論である「お前以上に苦労をしても成功した人間はいっぱいいる、甘えるな」も間違ってはいませんが、そんな一般論はどうでもいいのです。20代の頃、「どうやら私は他の人と考え方が根本的に違う」ともがき苦しみ、30代に入ってようやくマシになった私の人生は、「大したことじゃない」で片づけられないほど重みがあるからです。
思考が人生を作る。
そのとおりだと思います。
この世で一番信頼していて大好きな人から愛して欲しい時期に愛をもらえなかった人間が、惜しみなくそれを与えられた人間と同じ思考が出来るわけがないじゃないですか。
後天的に身に付けるしかない。
私はそれに十年以上かかりました。
いや、今も道半ばなのでどれくらいかかるか分かりません。
周囲は、私のことをプライベートが充実した人だと思っています。
自分で言うのもなんですが、頭も外見も悪くないからです。
だけど、実際の私は非常に孤独で、こうしてウェブで長文の怨恨を世界中に発信しています。
本当のことを言えば変な人だと警戒されそうだからあえて訂正しませんが、そのギャップも苦しいです。
しなくていい苦労をし、それにエネルギーを奪われているから、新しいことをする余力がないんだと思います。
例えるならば、縁までたっぷり水の入ったコップです。水はエネルギー、コップは心です。私たちはコップの中の水を消費して色々なこと(仕事や趣味、大切な人と過ごすなど)をし、減った水は睡眠や食事を取ることによって半永久的に補充されます。
しかし、そのコップには誰でも無数の穴が空いているため、自然と水は減ります。穴の大きさや数は個人差があります。穴は過去のトラウマや思い込みです。
何が言いたいのかと言うと、私のコップに空いた穴は大きく、数が多い。
そこから水がダムの決壊のごとくジャージャーと流れ出てしまい、仕事をするだけでコップが空っぽになってしまう。
これは非常にもったいない。
交遊関係を広げたいし、結婚を意識したお付き合いもしたい。でもエネルギー不足だ。
だから、こうしてやるせない気持ちを文章にして昇華させたり、心を穏やかに保つため呼吸法を実践したり、アニメや映画、本、新聞を読み、多様性を学ぶなど、穴を塞ぐ努力をし、少しずつですが成果は出ています。
そんな中、穴の原因である父に
「結婚は?子どもは?仕事は?」と無邪気に聞かれたら、
「お前のせいでしなくていい苦労をして、そのリカバーをするため、こちとら必死なんだよ!黙ってろ、ボケェ!」と叫んでしまいそうです。
でも、言ったところで理解出来ないでしょう。もし父の共感力が人並みなら、我が子にあんな仕打ちはしないと思うので飲み込むしかありません。
「お付き合いしている人はいないし、やりたいことがあるから派遣社員をしているけど心配しないでね」と言えればいいんですけどね。
「うまく行かなかった過去も含めて私の人生だ。これでいいのだ」と父のせいにせず、自分が選び取った結果だと心の底から思えるようになればいいなぁ。
しかしながら、まだまだ自分の境遇に納得が行っておらず、ジタバタする日々に終わりは見えません。あー、そのとっかかりはなんだろうな。父に会えば何か見えてくるかもしれないので、今は会うのが楽しみです。
ブログ再開します。引き寄せの法則について分かったこと
何もする気が起きない六か月を経て、ようやく浮上して参りました。
働いていましたが、仕事以外は生きる屍って感じです。
思い起こせば無気力なのって物心ついたときからなんですけどね。
高校卒業後に上京してから悪化しました。
家庭環境に恵まれなかったため健全な自我を育てることが出来ず、生き方を学ばないまま世間に放り出されたからでしょう。
それからの約十年間は自業自得とは言え、地獄でしたねぇ。
自分の作り出した思い込みにより、周囲と上手くやっていけなくて、最初は私のことを理解しようと歩み寄ってくれた人たちが匙を投げて離れていく姿を見るのは辛かった。
そんな暗黒時代のイメージは、
『大人の中にひとりだけ子どもが混じっている』
『大勢の人たちの中でひとりだけ耳を塞ぎ、目を瞑り丸まっている』
がピッタリです。
そんな中でも
『ちゃんとした大人になりたい』
『周囲と調和したい』
という一心から時間をかけて自分を育てて、人並みに働けるようになりました。
でも、現在の私は、アフターファイブや休日は家に引きこもって寝てばかりいます。
人に会う気力が湧かないのです。
やりたいことはたくさんあります。
物書きの学校に通いたいし、ジムや各種セミナーへ行きたい。
新しい交友関係を広げたい。
二の足を踏む理由は分かっています。
私は、自分のことを話したくない。
雇用形態のこと、休日の過ごし方、これまでの交友関係や異性のことなど。
私には何もないから恥ずかしい。
コミュニケーションの取り方や仕事の仕方は人並みに出来るよう頑張ってきたけど、それは大抵の人にとって当たり前のことだから話題にもならない。
そんなことより、普通の人は培ったコミュ力や仕事を通して、何をしてきたかに興味があるから、彼らの知的好奇心を私は満たせない。
がっかりされるのが怖い。
書いてて思いましたけど、『私には何もない』が強力な思い込みっぽいですね。
何もないわけがないと自分でも思うけど、自己肯定感の低さをすぐには改善できません。
でも、そのヒントを先日、久しぶりのカウンセリングで教えてもらいました。
それは、
鼻で吸った息を口から吐き出すとき、数を数えるというシンプルな呼吸法です。
カウンセリングの先生いわく、
『呼吸をコントロールすれば、感情もコントロールできるようになる』
そうです。
人間が生命維持のため意識せずにやってることの中で、ある程度コントロール出来るのは『呼吸』だけだからです。
これは脳波をシータ波という状態に近づける簡単な方法だそうです。
学術的なことは分かりませんが、シータ波は非常に落ち着いている状態とのこと。
なんと、シータ波を保つことが『引き寄せの法則』の正体らしいですよ。
確かに、数を数えることに専念すると雑念が消えます。
先生には『無気力な時にやると効果的だよ』と教えてもらいましたが、本当に無気力なときはそれすら出来ん(笑)。私の場合、何もする気が起きないときは考えるのを放棄しているから。
なので、日々の生活に組み込んでみることにしました。
まずは起床。スマホのアラームを使って起きているので、スムース機能を活用して10分呼吸法を実践。でも、気付くと寝ているからたぶん5分くらいしか出来てない(笑)。
次は通勤と帰宅。家から最寄駅、駅から会社まで結構距離があるので毎日1時間は歩いてる。この間に呼吸法を実践。でも、思考があっちこっちに飛ぶのでたぶん15分くらいしか出来てない(笑)。
最後はお風呂。湯船に浸かって呼吸法を実践。でも、飽きっぽいので10分くらいしか出来てない(笑)。
あんまり出来てないな(笑)。
けれど、しないよりは全然マシだし、3ヵ月程で見違えるそうなのでゆる~く続けようと思います。グルテンフリーより楽ですし。あ、グルテンフリーは効果薄いので辞めました。小麦粉うまし。
職場の嫌われ者、仕事が出来ないYさんと昔の私はそっくりだ。今の私と何が違うのか考えてみた話
現在の職場に『今まで会ったことがない』と周囲が評するほど社会性ゼロのモンスター社員がいます。
私も彼女の非常識な言動に眉をひそめつつ、『昔の私と似てるな』と同族嫌悪の感情を抱いています。
彼女の特徴は
・自分を客観視できない
・責任感がない
・やりたい仕事しかしない
・自分は頑張っていると思っている
・平等であるべき、という意識が強い
・承認欲求が強い
・判断基準が全て『自分』
正社員の仕事を半年でクビになった20代半ばの私にそっくりで嫌になります…。
数々の挫折に遭遇するも、天性の逞しさを発揮してガラパゴス的な進化を遂げ、社会に適応出来るようになった自分は凄いと思っています。スミマセン、手前味噌です。
とは言っても、昔の私やYさんの考えていることは分かるようで分かりません。当時の気持ちにきちんと向き合っていないせいでしょう。
昔の私と今の私、何が違うのか?
答えは、考え方です。
端的に表現すると、昔の私は『自分のことばかり考えているやる気のない人』で、現在は『全体の利益を考えるやる気のある人』にクラスチェンジしたように思います。
しかし、一夜にして見違えるほどの変化を遂げたわけではなく、時間をかけて少しずつ矯正をしました。
正社員の仕事を半年でクビになった後、ひとりで出来る仕事をしたくて通った技術系の職業訓練校でも嫌われれば、さすがに『自分の考え方がおかしいのでは』と気付きますよねー。ハハハ。辛い。
自己啓発系の本を買い漁って普通の人の考え方を学び、実践と失敗、工夫を繰り返して現在に至ります。6年かかりました。
いやー、よく頑張りましたね。その原動力は、『仕事が出来ない人、と思われたくない』という気持ちだと思います。20代後半で仕事を覚えるために飛び込んだ金融系の会社は、仕事が出来ない人は尊重されないというシビアな世界でした。私の中で尊重されるとは、人間扱いされることと同義です。つまるところ、人間扱いされたいから頑張ってきたんですね。自身の尊厳に関わることですから、そりゃ必死になりますわ。
宇宙旅行に全然興味なかったけど、NIKKEI The STYLEの記事を読んで考えが変わった話
『ペンは剣よりも強し』って本当だなぁ、と思ったこと。
日曜の日経は軽めな読み物が多いので、経済ニュースを何とか読み込もうと四苦八苦するおバカな私にとって箸休め的な存在で大変ありがたいのです。
さて、今週の『NIKKEI The STYLE』は民間企業が打ち出す宇宙旅行の特集に力を注いでいます。
リード文は以下のとおりです。
旅する宇宙船気球号
野球場1つ分ほどもある大きな気球。
これを使って高度30キロメートルの成層圏まで上昇し、
宇宙飛行士の気分を味わえる旅行の開発が米国で進んでいる。
訓練不要という気軽さが、これまで宇宙旅行に
縁遠かった人たちをひきつける。
難関を突破した一部のエリート層に限られていた宇宙体験が、
一般の人々にも開かれようとしている。
この時点では(ふーん、そうなんだ)しか思わず、中を見て上記の旅行費用が800万円かかることと滞在時間が二時間しかないことを知り、(2時間で800万?たっか、興味ないわ)という感想を持ちました。
しかし、最後から二番目の段落を読んで(宇宙旅行最高じゃん!しばらく待てば200万円まで下がるようだし、生きてるうちに是非行ってみたい!)に考えが変わりました。こうして文章にしてみるとえらく単純な精神構造をしているな、私。
私の心を動かした文は以下のとおりです。
「厳しい環境下の宇宙事業には歴史的に国際協力の文化がある。宇宙旅行は同じ惑星にいる連帯感を強めるだろう」。神の存在と不在、領土やイデオロギーで争う無意味さ、人間は地球に生かされていること。かつて地球を眼下に見た宇宙飛行士たちは、様々な思いを抱いた。多くは生き方、思想を根源的に揺るがす体験と捉えた。
これを読んで、宇宙飛行士たちの気持ちと通じたような気がしたのです。
「宇宙からは国境線は見えなかった」という日本人初のスペースシャトルの宇宙飛行士
である毛利衛さんの言葉を思い出して荘厳さにちょっと涙が出ました。
写真を見ても、分かりやすい比較図を見てもピンと来なかったのに、文章だとすっと頭に入り、想像が膨らんだことに驚きました。
眼下に広がる地球は、一秒とて同じ模様を描くことはないし、双眼鏡(持ち込めるのか、使用できるのかは謎だけど)を覗けば、どんな風景が見えるのだろう。世界地図を俯瞰するような感じなのか、それとも、人ではないような万能感を味わえるのか。宇宙の暗さは、いつも見ている夜の宵闇とどれくらい違うのだろう。
…ああ、きっと二時間なんてあっという間だな。
それまで眠っていた回路が活性化したように、様々な疑問が頭をよぎりました。
また、この宇宙旅行の定員は6名で、全員日本人のはずはないから英語を勉強しなくちゃとも考えました(笑)。気が早すぎ(笑)。
読む人の想像力を掻き立てて、考え方を揺さぶる文章、私も書きたいなぁ。
【しくじり人生④】 大学デビューした結果、上手く行かなくて中退するほど追いつめられた話
一年の浪人生活を経て、東京にある私立大学の文学部に合格し、晴れて大学生となったぐみさん。実家を出て、ひとつ上の姉と23区内で二人暮らしをすることになりました。
新しい場所には、ぐみさんのことを知っている人は上京組を除けば誰もいません。
そこで、ぐみさんは「なりたい自分になろう」と心に決めます。
具体的には、
・綺麗になりたい!
・友達をたくさん作りたーい!
・彼氏が欲しいーー!
というもので、一言で表すとリア充になりたかったわけです。
大学デビューとも言う。
◆ 大学デビューしたけど、立ち回り方が分からない…
髪を染め、雑誌に載っている服を着て、メイクを頑張ったら、黙っていても私の周りに人が集まるようになりました。
望んだ状況のはずなのに、実現すると怖くてたまらなかった。
「人の輪に入りたい」と願っているにも関わらず、同じくらい「誰とも関わりたくない。放っておいて欲しい」とも考えており、真逆の想いは不可解な言動となって現れます。
例えば、私が顔見知り程度のAさんを笑顔で見つめています。「この人と仲良くしたい」と思っているからです。アプローチが功を奏し、Aさんが私に笑顔で話しかけてくれました。しかし、私は「はぁ?話しかけんじゃねーよ」と言わんばかりの冷たい態度を取ります。された方は梯子を外された気分になりますね。大抵の人は私に関わらなくなります。
なぜ自覚もなく、こんな不可解な言動を取るのか?
思えば、家庭の中で私に注目が集まるのは攻撃される時だけでした。そのため、誰かの目線が注がれるだけで(攻撃される!逃げなくちゃ!!)のスイッチが自動的に入ってしまい、恐怖で耳が塞がり、肩が竦んで身体は硬直します。そしてその場から早く離れることだけを考えます。そんな心理状態では話の内容を正しく理解できず、受け答えがおかしいため場がシーンとなることも頻発し、からかいの対象となるのに時間はかかりませんでした。
◆ 戸惑いしかないキャンパスライフについて
大学生になって何よりもビックリしたのは、周りの人々が卒業後の進路を踏まえて授業を選んだり、将来をしっかり考えていたことでした。
当時の私は、自分の未来を思い描くことが全くできませんでした。自分がフルタイムで働く姿も、結婚して家庭に入る姿も、何もかも想像出来なかった。何かを考えようとすると、頭の中が真っ白になって途轍もない恐怖だけがせり上がってくるのです。胸がすっと冷えるような、踏みしめている地面が音を立てて崩れ落ちていくような、あの恐怖に思いを馳せると今でも動悸が激しくなるほどです。
(直視してはいけない)本能が怯えて、考えることを放棄しました。
◆ 軽いイジメに遭うように…
そんな私と周囲は、当然のことながら言動が全く違いました。みんなは若い女性らしく眩しいくらい溌剌として学生生活を謳歌する一方、私は病的にマイペースで空気が読めない奴でした。
また、前述のとおり考えることを放棄していたので思慮が浅く、行き当たりばったりで生きており、言動が変でした。今思えば、協調性や客観性に欠け、自分の気分や都合を最優先していたからでしょう。特に何を言いたいのか不明瞭で、失笑の的になっていました。
実家で私の発言は軽視されたり、突如怒らせてしまうこともザラで、「自分のことを分かってもらえるよう、言葉を尽くして伝えよう」という発想がなかったからだと思います。
自分に注目が集まるのは攻撃される時、という行動パターンが身についていたので、話しかけられると早く会話を終わらせることだけを考えて喋っていました。不誠実極まりないですね。そんな人、イジメとまではいかなくても、からかいのターゲットになるのは火を見るより明らかでした。
「●●だってぇ~、キャハハ!」と私の発言の揚げ足取りをして仲間内ではしゃぐ女子や、それに便乗する一部の男子、といった意地悪な人種に初めて会い、どう接すればいいのか分からず曖昧な笑みを浮かべつつやり過ごしていました。
人間社会は残酷で、一旦そういう立場になると何をやってもダメで、「あいつには何を言ってもやってもいい」という雰囲気になります。残念ながら、こうなったら対処法はありません。その輪から離れ、次の場所ではもっと上手く立ち回れるように戦術を練るしか処方箋はないように思います。
◆ 人と話すのが辛くて大学に行けなくなり、一年休学したのち自主退学へ…
慣れない人付き合いに疲れてしまったこともあり、大学内で一人行動をしていました。
入学当初、友達がたくさん欲しくて手当たり次第に声を掛け、サークルに二つ入っており、顔見知りだけはたくさんいたことが当時の私にとって不幸でした。
キャンパスは知人だらけで、少し歩くたびに誰かと遭遇します。決まって向こうは複数、私はいつも一人で「ぐみちゃん友達いないの?」とからかわれることも、面白がるような見下すような目で見られることも苦痛になり、学校に行けなくなってしまいました。
追い詰められた私は、(楽になりたい)という一心で自主退学の意思を伝えるべく大学の学生課に赴きます。そこで学費の発生しない休学を勧められ、一年の猶予をもらいました。
しかしながら考えは変わることなく、一年後に大学を辞めました。上京して三年目の梅雨のことでした。
ところで、親に「人間関係に馴染めなくて辛いから大学を辞めたい」と打ち明けたところ、「金が厳しいから正直助かる」と父は言い、母は黙っていました。とても悲しかったのを覚えています。大学中退が私の人生にどんな影響を及ぼすか、なんて彼らにとってはどうでもいいことなんだと思えたから。
けれども、苦しい家計の中から学費を出して上京させてくれたんだから、感謝しなくちゃいけないと今は思っています。
振り返ると、小学生の時点で心の成長が止まっていたんだろうなぁ。依存心が強くて自主的な行動は一切なく、周りに自分の身勝手な期待を押し付けていました。とはいっても、大学生の私にアドバイスできることは何もないや…。未熟すぎて話にならない。
小学生の私にアドバイスできるとしたら、「習い事で武道を始め、礼儀作法を教えてもらい家庭以外に居場所を作り、小学校を卒業したら、寮のある学校に入って実家から離れることだけを考えて」と言いたい。
まぁ無理ですけどね。外見至上主義でスリムで美しい女性が好きな父は、「体がごつくなる」という理由でスポーツ系の習い事に反対していたから。子どもの頃、父が大学生までやっていた柔道を「私もやりたい」と言ったら上記の理由で却下されたことだけはちょっと恨んでいる。